子どもたちのもつ「普遍性」とは何か。教育が「押し込む」ことから「引き出す」ことへ 移り変わる段階において考えること。

子どもたち(幼児・児童期)は、

よく遊びます。

よく学びます。

そして、よく寝ます。

 

これは、世界の子どもたちに共通していることでしょう。

 

その中で、子どもの普遍性として、2つ挙げるならば、

 

1つは、「ユーモア」が溢れていること。

もう一つは、「創造性」と「想像性」があるということです。

 

 私は、多くの子どもたちを観察してきて、そのように確信しています。

 

 

教育の場では、大人は、現実主義的に出来事を観察することを余儀なくされます。

例えば、成績、病気にかかっている、検診、いじめ問題などの諸問題を、

分析し、調査し、判断し、観察し、そのための改善策を講じます。

このような視点は、生きている「人」を育む上では大切な視点です。

 

一方で、理想主義的に出来事を見るときがあります。

「可能性」とか「将来」とか抽象的な表現になります。

 

子どもの教育環境は、いつでも、このどちらかが存在します。

これは、どこの家庭を見ても、どこの国を見ても、共通する環境だと思います。

しかし、どちらかに偏っているということが多々あります。

 

さて、子どものもつ「普遍性」についてです。

子どもたちは、ぞれぞれ「ユーモア」をもっています。

喧々諤々とした場面であったり、ガラスが割れそうな雰囲気で

あったりしても、

彼らは、この「ユーモア」を発揮させます。

 

それは、集団を、やわらかな空気で満たし、

おおらかな心を取り戻すための、生物に備わった能力ではないかと思うほど、

それらを巧みにつかいます。

一方で、本人は気付かない間に、

そのユーモアが発揮されていることがほとんどだから、

周囲とは、全く違う世界をいきているかのように見えます。

しかし、そのおかげで、誰もが偏った考えをもとに戻すことができるのです。

 

それは、「嘘」をどこかへ吹きとばしてしまうほどの、力があります。

誰も、嘘(自分に正直ではない態度)に気付いていて、

全うな態度をとれる人はいません。

 

でも、それを「ユーモア」で吹き飛ばしたときに、一番安心しているのは、

周囲ではなく本人だということを、その表情から伺えます。

それは、誰も責めることなく、気が付けば「元に戻っていた」

というような状態です。

 

そして、時に、「笑い」が生まれます。

それは、自然な笑顔で、まわりに「安心感」をもたらします。

そんな「ユーモア」は、地球上に住む子どもたちがもっている

普遍的な才能の一つだと考えます。

 

 

次に、「想像性」と「創造性」についてです。

これは、ほかの生物の進化を見た時に、

動物と人間との大きな「違い」であると認識しています。

この違いがあるからこそ、進化し、すぐに思考を変えて、

行動できるのも人間の特徴です。

別の場所で生きることも可能にします。

 

子どもは、このイメージすることが得意です。

そのイメージが、外部の情報と自分自身とで、共有できたときに、

知識となり、体得されます。

 

それは、すでに自分の内から生み出されています。

 

そして、「創造力」とは、0から1を生み出すことができるということです。

デザインとは、「何かと何かの組み合わせ」であり、この世界は、

0から生み出されているものはないと、あるデザイナーの方から話を伺いました。

その組み合わせのセンスは、物事を発展させていく上で、

非常に大切であると思います。

 

しかし、私は、多くの子どもたちを観察してきて、

この「0から生み出す創造力」をもっていると思っています。

これは、概念上の話であり、新しい何かと思いついたり、

新しい発想を思いついたりするのも、

この創造力が支えています。

 

「education」(教育)という語は、ラテン語の「educo」引き出す 

が語源です。

 

この「引き出す」という意味は、もうすでに個の内に存在しているものを、

なにかのきっかけや、出会いによって、「覚ましていく」ということです。

 

それに、自ら気が付かないまでも、

一度、引き出されたものは、いつでも出せるのです。

 

このように考えると、子どもたちの無限の可能性を確信しますし、

それは、私たちにも言えることであり、自己を肯定する確信へと変わります。

 

先日も、述べましたが、私たちは「子どもを力で変えることはできません。」

では、アプローチの方法としては、

私たち自身の在り方と、

子どもたちを取り巻く環境に目を向けることです。

 

 

 

最後に、「おおいに、あそぶこと。」

それは、作られたゲームの世界を体験するだけでなく、

自分の感覚をフルにつかって動くことです。

日常世界のなかで、歩くこと、座ること、料理すること、

その中に「あそび」がたくさん隠れています。

そこに、気付くことができるのは、「ユーモア」の一滴の油が、

落ちた瞬間からはじまるのです。