大学生議論の場「結婚・出産・子育て」テーマは「共働きか片働きか」「恋人と結婚相手は別か」家庭を育む男女間のよき関係性は、子どもの豊かな成長の根幹を成す場所なのです。
「結婚、出産、子育てという大きなライフイベントをどうするか、大学生のうちから考える取り組み」が始まっているそうです。
「恋人と結婚相手は違う?」「共働き?片働き?」大学生のうちから議論 (THE PAGE) - Yahoo!ニュース
2016.2.26
結婚、出産、子育てという大きなライフイベントをどうするか、大学生のうちから考える取り組みが始まっている。宮城県内の大学生が毎週集まり、結婚のあり方や、出産後の働き方などを議論。就職活動だけにとらわれない、さらに先のライフスタイルを大学生のうちから少しでも見据えることがねらいだ。
大学生たちが進めているのは、「結婚・出産・子育てってほんとは楽しい!を調べるプロジェクト」。宮城県子育て支援課との共催で、県内の6つの大学に通う、18歳から21歳までの学生10人と、2人のサポートメンバーで構成されている。昨年10月から週1回のミーティングを重ね、先月までに計4回のセミナーを開催。サッカー元日本代表でベガルタ仙台アンバサダーの平瀬智行さんや、パパ芸人として活躍するダイノジのお二人ら、さまざまなジャンルで活動する「結婚・出産・子育ての先輩」を招き、実体験を直接聞く機会を設けた。
セミナーの中では「出産したら、共働きか片働きか」「恋人と結婚相手は同じ人か違う人か」「結婚のメリット・デメリット」などを主題に、ゲストとプロジェクトメンバーによるディスカッションも設けられている。どちらがよい・わるい、と二分できる話題ではないが、その分、その場に参加した人も含めて「自分ならどうするか」と自分自身の問題として人生の早い段階から考えるきっかけにもなる。「知ることによる不安も出たが、知らないよりよかった」ミーティングやセミナーの回を追うごとに、参加するプロジェクトメンバーの考え方も変わってきたようだ。(一部抜粋)
上記の記事を読み、映像を見て、意識の高い大学生だと思われるでしょうか。
そもそも、結婚や出産、子育てのことを、大学生で考えるのではなく、
幼いころから家庭を通して育まれていくものです。
本来であれば、これらはビックイベントや祭りごとでもなく、極自然に日常に根ざしたことです。
また、幼児、児童、青年とそれぞれの段階で、家族を通して、
このような人との関わりから自然と学び、イメージできる環境が必要です。
しかし、今では、そこを担う「家族・家庭」がそのようなことを
育む機能が低下してきています。
そして、今の日本の学生は、時間に追われています。
学生だけではありませんね。
それは樹木の年輪が重なるようにじっくりとその年齢だからこそ、
考えられる思考や身体をつかって、世界を探求することができなく
なってきていることを意味します。
子ども時代を生きる「子ども」がいかに日本に少ないかお気付きでしょうか。
中学生、高校生、大学生となれば、自ずと、自分の将来のことを考えるのです。
そのプロセスで、部活をしたり、恋愛をしたり、人と関わるなかで、
自分はどのような社会に生きていきたいのかを考えるようになります。
「自分の才能や技能をどう発揮するか、発揮できるのか、発揮しよう!」
という根拠のない自信も育んでいくのでしょう。
しかし、今、社会を見渡すと「自分を既存の社会に当てはめようとして生きる人間」
と「自分のあり方や考え方で社会を築いている自覚をもって生きる人間」が存在することを認識しなければなりません。なぜでしょうか。
ここでは本筋とずれますので、述べませんが、自身で是非考えてみてください。
さて、セミナーの内容を見てみましょう。
1 「出産したら、共働きか片働きか?」
そもそも、どちらか一方という選択肢ではなく、
子どもは、社会の皆で育てるものです。
夫婦、2人の問題ではなく皆が関わことです。
子育ては、教育費を稼ぐことでもなく、
教育施設に預けることでもありません。
ある部族では、女性は、自分の子も他者の子も同じ家族として
育てています。子どもは、たくさんの大人からいろいろなことを学ぶ。
子どもの成長から見れば、豊かな発育環境です。
2 「恋人と結婚相手は別?」
恋人である、恋人ではない。
結婚している。していない。
このような言葉や制度によって、私たちは、自分で自分を苦しめている
のではないでしょうか。
そのそも、人は人をコントロールすることはできません。
人は大きな価値観は変わらずとも、考えが変わる生き物であり、
それが人間です。
また、婚活という言葉が流行っていますが、
それも、女性の結婚への憧れをビジネスと結び付けたものであり、
そこで活動したからといってパートナーに出会えるわけではないでしょう。
それよりも自分自身を成長させる時間の方が豊かな時間なのではないでしょうか。
「浮気や不倫」という概念も、私たちを縛っているものです。
「他の人と関わることは許されない。」
「他の人とは、一線を超えてはいけない。」
慰謝料の請求などで、人と人が、自然に人を愛したり、成長し合ったりする
ことを疎外させています。
昨今は、特定の男女間を第三者が取り上げて、感興をそそられている人も
目にしますが、おかしなことです。
その男女間、本人同士の関係性でしか解らないことを、第三者が、噂話や
自分の感情の動きとともに伝えることは、非常に無礼なことです。
何に関しても言えますが、第三者から伝えられた情報は
編集がかかっていることを、認識しなければなりません。
自分で聞いて、見て、考えること以上によい手段はないのです。
また、子どもたちは、そのような男女間をメディアを通して、無意識に
覚えていきます。家庭の男女間でも、浮気・不倫という概念を知らずとも、
子どもは母の行動や、父の言葉から、殺伐したものを感じ取っている場合もあります。
これは、とても悲しいことです。
幼いころから、よき男女の関係をみて、
自分も恋をしてみたり、母や父になりたいと思ってみたり、
幼いころから人を愛すること、好きになることを
自然にしていくこと。それが、大切です。
子どもはよく聞き、見て、価値を学んでいます。
家庭を育む男女間のよき関係は、子どもの豊かな成長の
根幹を成す場所です。
結婚や出産、子育の場として機能する「家庭」は、男女を縛るものではなく、
個が個として成長する場所です。
人は、人を愛するとき、「自分のものにしたい」という感情で、
自分と相手を束縛するのではなく、
相手との違いのなかで魅力を知り、補い、尊重し合うことが、
より互いの成長に繋がることが解ること。
家庭や社会をよりよくしていけることを知り、互いに認識するときに機能していくものです。
そこには、相手を思いやり、言葉を交わし、対話すること。
それは、相手の言葉となり行動となり、皆のよりよい豊かな成長に
繋がっているのです。
その関係を「互いに約束を交わし、断ちましょう」と自ら言わなくても、
恋人か結婚相手かどちらかと、人を見るのではなく、
相手のよさを見つけ、感化されながら、互いに成長できるのです。
どちらか一方という考え方ではなく、
どのようにすればよりよい関係性を育み、子どもたちを育てていけるかと
考えてみましょう。
子どもがいる、いないでもなく、全ての人が母性を兼ね備え、
未来、子どもを育てることに関わるのです。