「子離れ・親離れ」子どもへの管理・監視体制では人は育ちません。「我が子」と「他者の子」という境界線は本来ないのです。

子離れ・親離れとは、何でしょうか。

 

本来、人は、生まれ出た瞬間から、親とは別の人格ですので、

あなたの肉体を通じて、生まれてきたとしても、

あなたの所有物であり、分身ではありません。

 

そのくらい、子どもは、親と別の思考をしています。

時に、親を客観視し、子どもの側が親を導いている場合もあります。

「子どもらしく」装って、生きている子どももいます。

 

 

大学生に親がそこまで…スマホで出席状況確認 (読売新聞) - Yahoo!ニュース

 

 近畿大大阪府東大阪市)は今秋、学生の出席状況をインターネットで確認できる保護者専用のサイトを開設した。学生が教室の端末に学生証をかざすと、内蔵されたICチップの情報を読み取って、サイトに表示する。遅刻や早退、履修科目の時間割に加え、出席率や成績も分かる仕組みだ。 

 


子離れできない原因は、いくつも考えられますが、

本来、人は、我が子であったとしても、所有物ではありません。

 

自分が生んだとしても、近所の子も、地域の子も、

皆同じ「子ども」であるので、

自分の子だけが特別ということはないのです。

 

 

この「他者の子」と「自分の子」との境界線は、

本来、存在しないものです。

 

 

しかし、近年、「自分の子・我が子」を、「他者の子」と比べて、

どうだ、こうだと議論を重ねる親がいらっしゃいますが、

比較するメリットは、ほとんどありません。

 

「比べる」ということは、子どもも親も、両者にとって、

苦しいことだということに気付くべきです。

 

 

そして、よく「どこが違いますか。皆と上手くいってるのかしら。」

と心配になっておられる方もいますが、

皆と上手くいかせるために、DSを買ったり、テレビを見せたりする

ことは、子どもの教育を放棄しているようにも見えます。

 

 

「我が子によい教育を」

「出来るだけ早い時期から」

 

 

「我が子」だけ、よりよい教育を受けさせようとしても、

例え、その教育を受けられたとしても、

その子が幸せになるかは、別の問題です。

 

なぜなら、同時に、他も一緒に育てていかなければ、

その「幸せ」は、実現しないからです。

 

 

なぜなら、人は、1人では生きられないので、

親・教育者として考えなければならないことは、

「社会全体」をよりよくしていくこと。 

 

ただ、その一点に尽きます。

 それは、親・教育者としての責任です。

 

 

話を、本記事に戻すと、

大学の出席を管理する親の心理は、非常に乏しいものだと言えます。

 

「管理され、監視され、上からの言うことをただ聞くだけの

無能な人材を育てている。」ということに気付いているのでしょうか。

 

 

人は、管理体制、監視体制のある場所で、

自由に発言したり、学んだりはできません。

 

 

むしろ、大学であれば、自由に、学問を進め、領域を広げ、深め、

時に、他の大学の授業を受講してみたり、

図書館で、本を読みあさってみたり、

そのような時間は、大学の教授の話よりも、身になることがあります。

 

 

人は、自分で決めて、学ぶ時ほど、

集中力と、判断力と、記憶力が発揮されることはないでしょう。

 

それは、他者から与えられるものではありません。

 

そのような、環境を創ることが、私たちの仕事ですが、

管理し、監視することで、

未来に、生きる才能を発揮できる人材は、育ちません。

 

 

そして、人を教育する上で、忘れてはならないことは

人は、変えられないということ。

と同時に、

変わる可能性を持ちわせているということです。