「兄弟関係」は、いかに育まれ、どのように発展していくのだろうか。異年齢の関わりは、他者を知り、自分と同じくらい大切な存在であることを学ぶということ。

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昔のように、7人、8人兄弟というのは、2015年現在の日本では、珍しいようです。

 

兄弟は、既に一つの社会を形成しているように思います。

 

なぜなら、幼いころから人間として生きる上での学びが多くあるからです。

ここでの「兄弟」とは、血のつながりだけを意味するものではありません。

 

 

異年齢の関わりは、幼・小・中・高において、

成長する過程で、とても大切です。

 

では、どのように大切なのでしょうか。

 

例えば

早い時期から、自分とは違う他者を知り、

自分と同じくらい大切な存在だと認識することとか。

 

限りある、食料をどのようにシェアするのかとか。

 

兄弟が、傷ついていたら、自分のことのように共感し、助けたくなることとか。

 

今、これをして遊びたいときに一緒に共有できることとか。

 

努力する姿勢を見て、負けじと頑張ろうと切磋琢磨することとか。

 

時に、独り占めしたい母に、やきもちをやくとか。

 

 

兄弟が、兄弟になっていく瞬間は、様々な場面があります。

その瞬間を積み重ねていくことは、人との信頼関係を

築いていく上で、よき学びになります。

 

 

ある子に、弟が生まれて、その時に立合いをしたそうです。

赤ちゃんは、小さくて、くしゃくしゃしていたそうで、

温かかったそうです。

 

 

その命のぬくもりは、1人では、なかなか感じることができません。

 

2人、3人が合わさることで、同時に自分の命のぬくもりも

感じ取ることができるのです。

 

この体験は、例えば江戸時代の庶民の子どもたちは、極自然にやっていました。

下駄を履いて、弟を背負って、こま回しをしたり、洗濯をしたり、

いつも、命のぬくもりをどこかで、感じて生きていました。

 

それは、とても、自然なことで、きっと、豊かな表情をしていたのだと

想像できます。

 

今でも、生まれたばかりの弟を、じっと覗き込む

その表情は、これまで見たことのないほどの

優しさと思いやりで溢れています。

 

小さきものを愛おしむ気持ちは、誰しもがもっています。

 

きっと、この先のどんな人生も、兄弟がいるということは、

自分の支えになってくれるのだと思います。

 

また、兄弟が兄弟であることの素晴らしさは、

互いの人生を、少し客観的に見て、生きられるということもあります。

 

兄弟、同じように生まれてきても、性格も、素質も、考え方も、

違います

親としては、そこをよく観察し、子育てすることが、一つの

楽しみでもあるようですが、人が、人を育てるということは、

答えのないことなのです。

 

異年齢保育が同年齢集団よりも、学びが多いことにも気付きます。

 

だからこそ、私たちは、よりよい方法を模索し、探求するのです。

それは、知識だけではなく、すでに知恵として、育まれていくものです。

 

これらの知恵で、必要なものは、必ず後世へ受け継がれます。

 

 

私たちは、いつも、

母の子宮の中から生まれ、

この命を生きていることを、忘れてはなりません。

 

この生命の仕組みが、本当に素晴らしいということ。

 

私たちが想像できないくらいに、体のなかの小さな小さなものが

絶え間なく生を循環させ、生きているということ。

 

自分のことを、傷つけたり、

社会を汚したりすることは、決してやってはいけないことです。

 

そして、周りの常識に合わせて、自分に嘘をつくことは、

自分を傷つけていることなのです。

 

それは、人間が作り出したどんな立派な法よりも、

大事なことです。私たち、一人一人は、そのくらい尊い存在なのです。

 

子どもたちにとって、「兄弟関係」は、

互いの命の鼓動を感じて生きるという大切な意味があるのです。