子どもの「いたずら心」から育つ3つの可能性。家庭で育む好奇心と探求心とコミュニケーション。子どもの行動の源を観察する心のゆとりを!

  

子どもの「いたずら」は、現代においてすっかり見かけなくなりました。

どうしてでしょうか。

 

それだけ「よい子」が増えてきたからなのでしょうか。

以前も申し上げましたが、「よい子」という概念は、ある一定の判断規準のもとで

人間を評価したときに、それよりも良い、悪いということで判断がつきます。

文化や価値が違えば「よい子」の概念も変わります。

 

 

では、「いたずら」をする子が減ったのでしょうか。

理由はたくさんありますが、ここでは2つ挙げます。

 

まず、子どもにとって、いたずらができる物理的空間と場所が少なくなったこと。

次に、いたずらを許容できる大人の心のゆとりが無くなってきたこと。

 

子どもは、素直に求められる「よい子」になろうとしますが、

誰だって、つい飛び跳ねたくなるときや、駆けだしたくなるときがあります。

これは普遍的な「子ども性」だと思います。

 

f:id:familylearning-full:20160215202737j:plain

 

 私は、子どもは「いたずら」をするものだと思っています。

勿論、笑ってすまされるような可愛らしい「いたずら」です。

 

 

それでは「いたずら心」に隠されている意味と価値を見ていきましょう。

 

いたずらとは、「好奇心」が溢れてしまう行動の現れです。

心が、わくわくして、やらずにはおられない。

背中がもぞもぞとするくらい、行動せずにはいられない行為です。

 

 

もう一つは、自分の中の「無限の探求心」に火を付け、

それを自分で灯す行為であるということです。

人間は、探求心なくして生きているとは言えないでしょう。

 

大人になっても、学ぶことをやめない人。

学び続けることのできる人は、子どものころからの

探求心を失わずに自分で自分を育てることのできる人です。

そのようなセンスを「いたずら心」は育みます。

 

 

大人からすると、なぜわざわざ叱られることをするのだろうか・・・

と思うかもしれません。

そして、やかんのお湯が沸騰するように早口で捲し立てる。

それは、コントロールできない存在に対して、

自分の怒りをぶつけているだけで、解決にはいたらず自分の欲の発散になります。

 

 

一方で、こどもの本音は、「いたずら」をしている自分に気付いてほしいのです。

ここがポイントです。

 

だから、目と目を合わせて、にこっと笑うだけで、もうしない。

そこにある小さなコミュニケーションの意味を今一度考え直してみましょう。

互いに笑い、共感に変わるコミュニケーションです。

そこに大人は「気付いているのよ。」とメッセージを送るだけでよいのです。

 

この「いたずら心」から派生した行動を叱るとき、

ガミガミと言っても全く入りません。

 

実は、その逆で「あなたの行動の源はしっかりと認めているのよ、

でも、それはいけません。理由は・・・」

ときちんと対話をすることが心を育むことになります。

 

子どもは、そのようにして人としての普遍的な在り方を学びたいと思っており、

自分でわざとそのような行動をとっている時があります。

なぜ悪いことなのか、子どもは知りたいのです。

 

それを、幼いころからしっかりと発散させ、経験させておくことは大事なことです。

どれだけ道徳で繰り返しても、事前に伝えても、

子どもにとっては机上の空論になり、自分の体験を超えるものはありません。

自分で経験する。

それ以上に大切なことはありません。

 

 

皆さん、ご存知の『ごんぎつね』や『ずっとずうっとだいすきだよ』という

お話も子どもの「いたずら心」をくすぐり、子どもは共感を深めます。

そうして、子どもは作品を通して、解放させているのです。

 

 

私は、最近よく思うことがあります。

それは、こども時代に培った「いたずら心」は、大人になってからの

想像力につながり、その人が、後に偉大な仕事をする可能性を十分に

含んでいるということです。

 

人は、何がきっかけで変わるか分かりません。

自分の気付きで、人が変わった時、

自分に対する根拠のない自信と才能に溢れた目と姿勢を目にするたび、

見ているこちらが、何かを確信してしまいます。

 

そして、自然に感化される自分に気付くのです。

 

親であれば、その表情を 見たいと心底願うでしょう。

こどもの「いたずら」に気付き寄り添う。

 

もう一つ忘れてはいけないことが、「自分を生きる」ことです。

そうすれば、高め合える存在となるのです。

 

ここで育てた好奇心が海を超えて、

人類の進化に繋がる大きな価値になる可能性もあります。

 

 

だかこそ、日々の暮らしのなかで、

こどもの「いたずら心」にそっと寄り添える心のゆとりを

私たちが持ち続けることは、大切なことなのです。