子どもが自分の内に「自分の師」を育んでいくということ。

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素敵だな。

 

すごいな。

 

この人には敵わないな。

 

一緒に時間を過ごしたい。

 

と尊敬できる他者が身近に居ることは、

とても嬉しいことです。

 

 

 

人には、いろいろな素質・性格・癖をもった人がいますが、

今の自分にとって、よき影響を与えてくれる人は、

自分自身の嗅覚で解るものです。

 

 

 

不思議と子どもたちはこの嗅覚が、非常に優れています。

 

 

 

そして、少し観察してみると、

そういう人たちには、やはり傾向や魅力があります。

 

 

ここでは5つの魅力について書きます。

 

 

 

 

 

1.同じ土俵に立ち、厳しく(甘やかさず)指導できる。

 

決して、上から下からという視点ではなく、

同じ目線に立ち、同じフィールド内に降りて、

その状況下において指導することができます。

本人が一番逃げていること、課題になっていることを

ずばりと付く鋭さです。

そのために深い洞察力を兼ね備えています。

 

言われることは、実は、本人が一番解っているのですから、

傷つくことの反対で結果として、相手への信頼に繋がるのです。

 

本当に相手のことを思っている言葉であれば、

その表情や声から相手に伝わります。

 

 

 

 

 

2.孤独のなか、いろいろと解っていても、
それらを表面に出さず、水面下で方向を示していく。

 

言動の一致は、人からの信頼に繋がります。

しかし、他者以前に、自分自身の言動を一致させることや

心で思うことと行動を一致させることは、この時代に生きるならば、

そう簡単なことではありません。

 

解るということは、気づきの先の解釈まで落とし込めることです。

誰よりも、気づきの感度が高いからこそ、

他者や時間(時代)が追いつかないことさえあります。

それでも、表現方法や形を変えてでもよき方向へ導いていけるのです。

 

 

 

 

 

 

3.いつでも、どこでも腹をくくる。

 

潔く決断するために、物事を見る感度を日ごろから上げていることが

重要です。これが、一流と二流の違いだと思います。

 

決断することほど、勇気のいることはないでしょう。

腹をくくるという行為は、本当に勇気のある人にしかできません。

その背景には混沌としたものがあります。

 

決断後、その時は、周囲から反感もあるかもしれませんが、

時が経つと、皆がその決断でよかったと感じて、馴染んでしまいます。

 

絶望と希望の両方を見据えているからこそ、全体がよりよくなることを

考え、腹をくくり、生きることができるのです。

 

 

 

 

 

 

4.とにかく、大きい。

 

ここでは、身体の大きさではなく、人間の器の大きさです。

キャパシティーを含めた思考と心の大きさです。

 

自分が一皮むけて大きくなったと思っていても、

もっと大きい人はいます。

 

その存在を知り、いつでも謙虚に自分を高めようとするので、

物事や状況を受け止められるだけの器が大きいのです。

 

そして、今よりもっと、成長したいと心が勝手に動き出すのです。

 

 

 

 

最後に、

 

 

 

 

 

5.その人の心の中心になってはいけないことを知っている。

 

これは、とても難しいことです。

例えば、子どもは、親や師を目や身体で追います。

 

導いておきながらも、決して子どもの心の中心にはならず、

「そこにはいない」ということを実践しているのです。

 

その子どもの中心には、いつもその人が居られるようにしておくことは、
人が成長していく上で欠かすことのできない重要な要素なのです。

 

そのことを知っているので、対人間において、距離を測るのが上手です。

 

いつでも、次へ、前へ進むことのできる人を育てることです。

 

生きた時間の長さや社会的立場は関係がなく、

それが互いの成長に必要不可欠であることを知っているからこそ、

執着せず、そっと見守ることができるのです。

 

 

 

 

 

 

これから、どんな師に出会うのか。

 

 

 

どんな師に成長できるのか。

 

 

 

1人1人が自分の内に「自分の師」を育てる

 

 

それは、誰もが、自分自身の師であり、

同時に他者や未来の子どもたちの師であるという意味なのです。

 

 

だからこそ互いに切磋琢磨し、ダイヤモンドの原石のように磨き合う。

 

一度きりの人生で、ここに出会うということは価値の高いことです。