「児童貧困」の意味から、「貧困」と「豊かさ」の関係について考える。あなたは、どちらを選びますか。私たちが、今すぐに始められること。

先日、児童貧困を話題に挙げましたが、そのことについてもう少し、

考えていきたいと思います。

 

子どもの貧困「社会的損失4兆円」 NHKニュース

2015.12.3

貧困状態にある子どもに教育などの支援を行わなかった場合、個人の所得が減る一方で、国の財政負担が増えることから、経済や国の財政に与えるマイナスの影響=「社会的損失」は、15歳の子どもの場合、4兆円に上ることが日本財団の推計で初めて明らかになりました。
子どもの貧困について社会全体に与える影響が具体的に数値で示されたのは初めてだということで、日本財団は「子どもの貧困は経済にも大きな影響を及ぼす問題としてきちんと対策をとることが重要だ」と指摘しています。

 

「貧困の連鎖を断ち切るためにどの年代の子どもに学習支援を行うことが効果的なのかや、中退する子どもはどういった問題を抱えているのかなど、分からないことも多く、今後、研究していく必要がある」

 

 

この課題が、1つの問題ではなく、「子どもが生みにくい社会」

「女性が働かなければならない社会」の構築で様々な社会問題が重なり、

その歪として、顕在化してきていると考えます。

また、「児童貧困」という言葉の意味を考えないまま、

ニュースや本を見ていても理解できないと思っています。

 「児童貧困」とは、金銭的な厳しさ、虐待、学力低下、不信感、孤立などの

様々要因を含みますが、ここでは、「貧困」という言葉の意味から、

考えていきたいと思います。

 

 

 

そもそも、「貧困」とは、

 

  1.  貧しくて生活に困っていること。また、そのさま。「―の中に育つ」「―な家庭」
  2. 大切なものが欠けていること。内容に乏しいこと。また、そのさま。「政策の―」「―な精神」

 

という意味です。

 

 

 

確かに、① 貧しくて生活に困っていること。また、そのさま。

と記されているように、

金銭的に厳しくて、まともな食をとっていない子もいます。

しかし、洋服はおしゃれで、見た目は分からないこともあります。

ご飯よりもスナック菓子を頬張る子。

テレビで、お笑い芸人の真似を楽しむ子。

スマホやゲーム機を体の近くで5時間も遊んでいる子。

その他にもここでは申し上げられないほど数の

実態がありますし、私の想像を超えるような生活を

余儀なくしている子もいるはずです。

 

話が飛躍しますが、世界には、過酷な現状で生活している子がたくさんいます。

少し、想像しただけでも、ゴミ山の近くで暮らす子。

地下のドラム管の中にいる子。

爆弾の音に怯えている子。

自分の性に苦しむ子。

 

 

 

この地球上には、子どもたちが、安全に、自由に、

本来の生を全うできる場所は、あるのでしょうか。

 

 

もし、あるのならば、その人達がどのように生活し、

才能を発揮させているのか、私は、今すぐに、

自分の目で見て、確かめたくて仕方がありません。

 

これらは、○○メソッド、○○の国の教育が良いというような、

「教育」だけで語られるような話ではないと思っています。

 

 

 

話を、児童貧困に戻しますと、

貧困であっても、「豊かに生きる」ことは、可能だと私は考えています。

 

お金がない=貧困

という概念は違います。

厳密にいえば、お金が無ければ生きていけない社会ではあることは事実です。

もちろん、

カップラーメンを食べてる=貧困

も結びつきません。

 

つまり、どれだけ富をもっていても、貧困であるということもあるのです。

 

 

それが、上記2つめの意味の

②大切なものが欠けていること。内容に乏しいこと。また、そのさま。

に当たることです。

 

 

では、大切なもとは、一体なんでしょうか。

 

 

それは、答えはないかのしれませんし、自分で考えるべきですが、

1つ言えるとするならば、

私は「心の豊かさ」だと思っています。

 

 

昨日、時間について述べましたが、これもヒントになります。

「余裕」をもつことは、大切なことです。空白の部分です。

 

なぜなら、目の前にある木の葉の色が変わったことの美しさを感じたり、

いつもよりも風が心地よく肌で感じられることもあるでしょう。

それを、感じるためには、「余裕」「余白」があって

初めて、感じ取って生きることができます。

目の前のことを追っているだけでは、感じることを忘れてしまいます。

 

「忙しい」は、心を亡くすことです。

 

例えば、3歳の子どもが

「ねぇ、これ見て!」

「すごいの、出来たよ!」

 

その瞬間にどう反応しますか。

 

「もう、今はいいから、先にこれをしなさい。」

 

それを言われた子はどうでしょうか。

その瞬間はもう、二度と戻ってきません。

 

その瞬間に共感できるかどうかは、

その先の3,10年後の子どもの心を育てます。

子どもは、いつ、どの瞬間からも学びます。

 

子どもの「心を豊か」に育てるのに、お金はかかりません。

情操教育が有名な園や学校に行けば、育つのかと言ったら、それは違います。

メソッドでは、そこは育ちません。これは確かです。

 

もっと、もっと大切なこと。

 

信頼している人と、心を通わせる体験が、何よりも大切なのです。

そのための「余裕」を意識的につくることです。

「貧困」という心の状態では、「余裕」は生まれません。

それが、1つ1つの私たちの行動を決めていきます。

 

これまで、時間が無いから、コンビニのお弁当、お惣菜だったのが、

ご飯を炊き、おむすび1つを丁寧に握ること。

お味噌汁を作るのに、出汁をとる手間が楽しさへと変わること。

そのような食事は、豪華なステーキや、

生クリームたっぷりのケーキよりも、100倍豊かな食事なのです。

 

でも、どちらが、お金がかかるかと言うと、もちろん、後者です。

だから、お金がある=豊か 

という概念も間違っているということに気が付きます。

 

私が、茶道をしていた時、よく先生が言われました。

いつも、所作を作り、その手が動くことで、その場の空気も一瞬美しくなります。

それが見えますか。いつも、前ばかりではなく、後ろも見るのです。

簡素のなかに、美しさがあります。

 

 

今になって、その言葉を思い出します。

それは、とても、贅沢なことです。

 

そして、テレビを見たり、遊園地に行くことよりも、

大事な時間であったと思います。

もう、どちらがお金がかかるかは申し上げませんが、想像できますね。

シンプルなことこそ、見失わないことが大切です。

 

「児童貧困」

 

私たちは、いつからでも、「豊か」になれます。

「豊かさ」は、創り出せます。