子どもの心が屈折せずに素直に次の行動に繋がる躾。

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そもそも、日本では、子育てにおいて「標準化」や「よい子」を

育てようと親の関心が向く傾向があります。

 

 

 

しかし、生物として生まれて、この世界を探求している子どもにとって、

ルールや決まりは、本能と異なることが多く、

なぜ、その決まりを守って生きる必要があるのかを

しっかりと理解しないまま、生きている子がほとんどです。

 

 

 

そうやって、多角的なものの見方ではなく、

どちらか一方を選ばせることで、

思考を停止させていかなければ、

疑問で溢れかえり、収集が付かなくなってしまうのです。

 

それが積もれば積もるほど、子どもの心は屈折してしまう恐れがあります。

 

 

 

ここでは、親の躾が悪とか善とかいう話ではなく、

改めて、躾の在り方について考えていきます。

 

 

 

 まず、私は、躾とは必要不可欠なものだと思っています。

同時に、躾の基本は「自分(親・教育者)が子どもに在るべき姿を示す。」

ことだと考えています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人としてやってはいけないいたずらがあります。

 

人として、ついてはいけない嘘もあります。

 

意図せずにやってしまうこともあるでしょう。

 

 

 

 

 

そんな時に、一番よい方法は、冷静になり、

正しい姿を具体的に肯定的な言葉で示すことです。

 

 

 

 

 

 

例えば、忙しい朝に、子どもが食器を片付けようとします。

あっと、気づいた時には、

重ねた食器が、左へ傾き今にも落ちそうな状況。

その後手を滑らせて、食器が落ちて割れてしまいます。

 

 

 

このとき、よく目にする光景は、

「どうして、ちゃんと持たないの?」

「忙しいのに。」

とその悪状況に浸り続けることです。

 

或いは、「食器をたくさん重ねてはいけないの。」

と、「してはならないこと」を強調して、伝えることはないでしょうか。

 

 

 

子どもは、それを素直に受け取りますから、

してはいけない状況を心に想像してしまうのです。

 

それでは、次への行動に繋がりません。

 

 

 

食器をもって運ぶときは、両手で、

順番に運ぶことを冷静に伝えるだけでよいのです。

 

 

「真っすぐになるように両手で持つのよ。」

と肯定的な言葉で、どうすればよかったのかを示します。

 

 

 

 

すると、子どもは、素直にその行動をイメージすることが

できるのです。

 

 

 

その時に、すぐ指導することで、次似たような場面が

あった時に、自分から率先して実行することができるのです。

 

 

 

子どもの心にはストレートに正しい方向を言葉で伝えること。

 

 

まっすぐに素直に育ってほしければ、

可能な限り、環境(状況)と心を屈折させない言葉を選ぶことです。

 

 

 

まっすぐに届いた言葉は、子どもにストレートに響いて、

行動に繋がるのです。

 

 

 

 

 子どもは、自分で一番反省していますから、

感情で責める必要はなく、素直に「ごめんなさい。」

が言える。

 

 

これだけで十分です。

 

 

自分から、やってしまったことを反省し、

「ごめんなさい」と言える子を、育てていきましょう。

 

 

ごめんなさいと言える人は、次があります。

 

必ず、成長します。

 

 

 

その言葉の背景には、自分のことだけでなく、

周囲のことまで考えられている証拠が隠されているのです。

 

改めることがあるとき、素直に訂正できる人は、

潔く、一緒にいて気持ちがよいです。

 

それは、大人も子どもも同じです。

 

一緒居て気持ちがよい空気が流れる人と

人は、一緒にいたいと思うのですから。

 

 

 

 

 

余談ですが、親子の関係も、師弟関係も、

教えることと、教わることとの間には、いつでも

溝が生まれる可能性があります。

 

教える方は、相手を想い、真剣になります。

相手の失敗も相手の成功も自分事なのですから。

 

 

前回、『自分の内に自分の師を育んでいくこと』を書きましたが、

教えるということは、自分の内に、新しい視点や考え方が生まれる

ということなので、それ以上に大きな成長なないでしょう。

 

 

 

 

それを知っていれば、相手の尊重し、

その距離を上手く図ることこそができるのです。