未来の子どもを想う気持ちが、自分を育てるという行為に影響を与えるということ。

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誰もが、より高みを目指すことは、

自分のためだけではなく、生物としての豊かな進化に繋がります。

 

 

太陽が昇って、日が沈む。

当たり前のように過ごすこの一日ほど尊い時間はないのです。

 

そこに大半の時間を費やす役割=仕事が一日を占めています。

 

 

 

そこで思考することが、だんだんと

自分自身をつくっていきます。

 

 

 

人は、今よりもさらに、もっと・・・

という風に成長を心に思うものです。

 

 

 

状況によることもあるかもしれませんが、

私たちが「子ども」と呼ばれる時代には、

必ず、誰一例外なく、好奇心をもって

世界を探求していたでしょう。

 

 

これは、例外なく全員が経験したことです。

 

 

しかし、 大人になってから、この成長欲を持ち続けられる人と、

現状に甘んじて人生を終えてしまう人とがいます。

 

 

 

 

一体、何が違うのでしょうか。

 

 

 

 

ノーベル賞をもらったとか、

国の大事なポジションに就いているとかは全く関係がありません。

 

 

そこには、次世代の子どもを育てるという愛情をもっているか、

自分のため(この時代を生き延びるだけのこと)に生きているかの

違いがあるのだと思っています。

 

 

 

 

 

大人になってからの自己成長は、

「社会の子どもを育てる」

 という視点をもつことで、

自分をより高く、深く、広く成長させてくれます。

 

我が子や知り合いの子だけでなく、世界、日本に生まれてきている

子ども全員を想う気持ちからくるものです。

 

 

 

 

どの役割=仕事に就いていようとも、

誰もが、一つの先を見つめるとすれば、

後世に生きる子どもたちのためでしょう。

 

 

 

それぞれの役割=仕事がその一点と照らし合わせたときに、

ブレがないか、豊かさに繋がるのかを各々が考えることほど、

重要なことだと思うのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先日、ある親子が電車に乗っていました。

お年寄りの方がゆっくりと入って来られたので、

お母さんが「○○という駅までですので、どうぞ座ってください。」

と言って、席を譲りました。

 

 

お年寄りの方は、ありがとうと言って娘の隣に座りました。

そして、そっと「あなたのお母さんはやさしいのね。」と言いました。

 

 

その時の、娘の顔は恥ずかしいような嬉しいような

とても豊かな表情をしていました。

 

 

極日常の一コマで、とてもシンプルな図ですが、

ここでは、子育てをする上で大切な2つの気づきがあります。

 

 

 

 

 

まず、

自ら行動し、姿勢を見せて教育するということ。

 

 

つぎに、

第三者が的確な言葉を掛けることにより、

人との信頼関係を一段と高めているということ。

 

 

 

つまり、子を育てるためには、

自ら行動することと第三者が必要不可欠であるということです。

 

 

 

 

親にとっては、子どもにこんな風に育ってほしいという願いは

大なり小なり必ずあるものです。

 

しかし、子どもは、願った通りには育たない。

 

教育とは、時に傲慢に支配欲を掻き立てられる時があります。

 

 

 

 

この支配欲といかに自分自身が向き合い、自身を律して行動に

移せるか。

 

そして、自分の人生を生きるか。

 

その生き様を我が子に見せられるか。

 

実は、親としては、ここが一番重要なポイントなのです。

 

 

 

 

 

 

子どもを育てるということは、

究極の自分育てになるのです。

 

 

 

 

 

勿論、子どもが多ければ多いほど、

自己成長に繋がります。

 

昔、8人も10人も平気で産んでいた女性は、

女性としても、1人の人間としても

素晴らしい人間性を培っていたのではないでしょうか。

 

 

 

相手の成長を心から願う愛情。

 

 

厳しく相手を指導できる信頼関係。

 

 

相手を尊重できる謙虚さ。

 

 

 

それらを日常生活の中から、学んでいくのですから、

相当の精神性が鍛えられるのです。

 

 

 

 

子育ては、子どもと共に生きて、人としての在り方を

見せられるかというこの一点に尽きます。

 

 

子どもは、全ての大人から学びます。

 

 

 

 

日本では、特に子ども自身が子どもであることを

認識するためのエンターテイメントやテレビ、

教材などが巷に溢れかえっています。

 

 

そのようなことをして、わざわざ子どもが子どもを演じなくても、

人は、自分の精神性を高めるだけの真面目さは、

本来もって生まれてきています。

 

 

 

それは、年齢に関係なく、目の前の出来事や存在から学ぶという

人間の姿勢そのものです。

 

 

 

学ぶということは、形のないものです。

 

 

だからこそ、自分の思考を働かせ、自分の感性を刺激し、

表現しながら形作る必要があるのです。

 

 

 

それは、子どもと大人という境界線を超えて、

誰もが挑戦することなのです。