学習の質を高めるには、「仲間・共生・全体」が必要不可欠であること。
子どもの「仲間意識」は、自分や他者を育てるということに直結します。
人は、人と関わることで多くのことを学びます。
それは、一期一会の「今」という出会いに限ることであり、
教育においてこれほどに尊い時間はないでしょう。
人間は、社会的営みを送る生き物ですから、
共同体のなかで命を育むように支えあって生きているのです。
仲間のことを思う気持ちは、結局自分のことを思う気持ちに
繋がり、「共に」という感覚が自然に身についている
子どもは、自分も他者も大切にします。
このバランスが重要で、他人にばかり目がいく子もいれば、
自分のことばかりに目がいく子もいます。
私は、「人が人と関わる時間」こそ、「人を育てる」と確信しています。
しかし、今後、子どもを取り巻く教育環境が大きく変革していくことは
誰もが予想している通りです。
デジタル教科書の導入もそれに向けて行われているようですが、
「人を育てる」という観点で、意味のあることなのでしょうか。
www.fnn-news.com: デジタル教科書の導入...
2015.4.22
ここには、解決しきれていない膨大な問題が潜んでいます。
子どもの健康の問題。
教師の役割の変容。
個のスキル学習による学習スタイルの定着。
機材を使いこなすだけの人材育成。
書く能力の低下。
個別学習の時間増加。
システム移行、機械の故障のリスク問題。
導入のための予算。
もし、保護者負担になるのであれば家庭の格差が出てくるでしょう。
私たちに今、出来ることは、
1人でも多くの「仲間と共に、自分の人生を設計し、自己成長し続けていく人」
を育てていくことです。
しかし、昨今、家庭の多忙さ、女性の社会進出を促す流れ、
他者に対する警戒心などから、人と人が出会い、
豊かな関わりを生む場所と時間がこの社会から消えかけています。
人間は、比較的未熟な状態で生まれるので、馬の赤ちゃんとは異なり、
生れ出た瞬間から保護を要します。
つまり、その瞬間から、誰かと関わることで生きていくことを本能的に知っており、
生まれた瞬間から、他者との関わりにおいて学ぶということを体得してきて
いるのです。
現在の義務教育において、人は個として自立していくことを学び、
全てを1人の力で完結できるように、その能力や技能を使うことが求められます。
そして、私たちは、個を伸ばそうと考えたとき、
個へのアプローチを図ります。
しかし、実は、その個が属する学習共同体の全体を成長させる
(成長させようとする)マクロの視点でとらえなければ、
個の本当の成長には繋がりません。
そして、全体がゆっくりと変わり始めたとき、個の中にも、
大きな変化が生じてきます。
自らの好奇心で、問題を見つけて、
解決し、提案し、表現し始めます。
この逆もあり得ます。
個が変わることで、全体がぐんとよくなることもあります。
つまり、「全体がよりよくなることを1人1人が考えること。」
そうすることで、個の問題は、自然と解決されていくのです。
共同体というのは、家庭、学校、地域、社会、世界、地球全体と
拡がっていくものです。
自分が今、どの視点で物事を見ているのか。
今一度、自分に問うてみるのも必要かもしれません。
学習の定着についても、他者を意識することで、
理解度に差が生じます。
下記の「ラーニングピラミッド」で示していることは、
「人に伝えようとして学習している」ことが、学習する上で
個の能力を高めることにも影響しているのです。
つまり、学ぶ時のモチベーションが、自分のためだけに学んでいる時と
その先にある他者をイメージして学ぶことでは、定着度に差が出ます。
資料や書籍を読む-10%
視聴覚(ビデオや音声等による学習)-20%
実演を見る-30%
他者と議論する-50%
実践による経験、練習-75%
他者に学んだことを教える-90%
人は、生きた状況の中から学びます。
その体験を、後に振り返ることで経験となり、
知恵や次への行動レベルまで落し込んで思考するようになります。
これから必要な能力は、同じことをアウトプットできる
人間ではなく、
全体がよりよくなるために、考え、
自分の能力を高めていくことのできる人間です
柔軟に変化に対応し、しなやかな竹のように
根を張り、上へ上へ伸びていく姿。
今後、ますます、人と人が、目と目を合わせ、
手が届く距離での交流の機会が重要になり、
人はそこで生きた知恵や充実感を味わうのです。