知識よりも知恵を重視することは、蓄えることから引き出すことへ学びが昇華されること。

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これまで訪れた外国の地で、私は、子どもたちが

真剣に生きる姿を幾度と目にしました。

 

習慣や文化によって、

食べものの質や量が違ったり、

不自由さを感じて生きていたり、

自由に恋愛ができなかったり、

家族の構成のスタイルが違ったりしていました。

 

 

どの国も教育においては、それぞれの課題や目的はありますが、

私は、国を越えて、教育の本質「変わらない普遍的な価値」が

あると思うのです。

 

「普遍的な価値」とは、

生物としてもつポテンシャルを最大限に引き出すということです。

 

それは、教えられるというよりも、すでに知っているというイメージに

近いです。

 

後から身につけて蓄えていくものが、「知識」だとすれば、

本来、生まれつきもっており、その時々で発揮される能力が

「知恵」だと考えています。

 

 

「知恵」は、その環境や状況下において、自然に発揮されています。

 

 

 

 

例えば、植物のタンポポは、命を繋ぐために、いろいろな工夫をして

生き延びています。

今日のような雨天の日には、タンポポの綿毛の

一本一本は、開かずにすぼんでいます。

 

風に当たって飛んでいく必要がないことと、綿毛ができるだけ濡れないように

自分を守っているのでしょう。

 

 

 

 

一体、なぜでしょうか。

 

 

それは、

命を繋ぐためです。

 

 

 

 

 

では、私たち人間はどうでしょうか。

 本来もつ知恵を発揮できているのでしょうか。

 

 

 

今、自分の知恵をほんの少し信頼してみたら、

 意外なところに新しい自分を発見するかもしれません。

 

そう考えると、知恵の持ち主であるという点では、

子どもも大人も年齢は関係がないのです。

 子どもの方が本質をついていることがよくあります。

 

 

私たちは、どのくらい子どものことを信頼しているでしょうか。

 

それは、目の前にいる子どもと自分自身を含みます。

 

 

私は、この地球に生まれてくる子どもたちが

自分の才能を十分に発揮できる社会にしたいと

ずっと心に想っています。

 

残念なことですが、この才能を守り、発揮していくためには、

今の義務教育だけでは満たすことができないのです。

もちろん、学校に行って義務教育を受けることは必要な時間です。

 

 自分とは異なる他者に出会い、ある一定の基準値を

体得することができるからです。

そのほかにも楽しいことがあるでしょう。

 

 

もし、今いる場所に居心地の悪さを感じたら、

それらを一つの「見方」や「価値」として捉え、

自分の「知恵」をつかって、

「異なる見方」や「価値」を考え始めるチャンスだと捉えてみることです。

 

人は、困難な壁があればあるだけ、「知恵」を必要とします。

 

 

今日という日が、雨降りだろうが、嵐だろうが、

その期間をどのように生き抜くかを考えてみましょう。

 

 

それは、あなたが未来へ命を繋ぐ存在であるから、

あなたの内にもきっと、多くの知恵が眠っているはずです。

 

 

それを、自分の意思でしっかりと確認していく過程こそが、

生きることそのものなのです。