学びをリスタートできる人は自分の時間を生きる人。

 

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これから、母になる人たちは、今、どのように

生きているでしょうか。

 

 

2016年5月。目まぐるしく変化する女性観・仕事観・子育て観に、

50年、30年、3年前とはまるで違う大きな波。

 

 

それが私たちの環境を作り、日常の「言葉」に潜んでいることが垣間見られます。

 

 

 

 

 

私は、女性には、いろいろな生き方があってよいと思っています。

 

その時の、自分の人生において、ベストな決断を下すことは、

その人の人生を生きることに繋がるからです。

 

ベストな決断とは、組織や家族、友人、メンター、社会常識などの

「他者」に左右されずに、下す決断のことを言います。

 

未来のことに思いを馳せるならば、

「安心」「安定」を選ぶかもしれません。

 

ワーキングマザーとして、稼ぐ女性への道を選ぶかもしれません。

 

子どもを生み、育てるという道を選ぶかもしれません。

 

 

いつも、今を最大限に努力しつつ、

「どれも同時にやりたい!」

と思うのが心の本音ではないでしょうか。

 

 

私は、どれも人生の内に経験することが、より豊かな成長に繋がると

思っています。

 

 

 

では、これから生きる女性にとって、何を軸として、

周囲に影響を与え、命を育み、決断していくとよいのでしょうか。

 

まず、日本の教育を受けて育ってきた私たちは、

この「現代社会に尽くすこと」を学んできました。

 

仕事だけでなく、溢れんばかりの商業施設や、テレビなどの娯楽番組を見て、

時間を費やすことも、「現代社会に尽くす」ことを意味します。

 

そのように、社会に馴染んで生きることこそが、6歳からスタートした

教育の主たる目的ですから、何一つ不自由もなく生き、

それは決して悪いことではないのです。

 きちんと教育を受けて育ってきたということですから。

 

 

しかし、教育の本来の目的は、

・自己成長をし続ける人を育てること。
・未来の生命体へと良き影響を与える人を育てること。

が本質であると考えます。

 

ですから、実は義務教育を終えた瞬間から本来の「学習」がスタートするのです。

 

 

 

 

私たちは、義務教育中には、学びきることのできなかったいくつかのことを

再度、学び始める必要があるのです。

例えば・・・

自分の才能の見つけ方。

 

他者を思いやる心。

 

疑問をもち、探求しようとするパッション。

 

失敗を修正にかえて、挑戦する行動力。

 

無限の想像力。

 

自分の心の赴くままに表現する喜び。

 

をリスタートさせること。

 

 

 

なぜ、スタートではなく、

リスタートなのかというと、これら全ては、あなたが0歳から6歳までの間に

一度は経験していることだからです。

 

 

子どもは、本能のままに純粋無垢に世界に関わりますが、

私たちは、長き義務教育のおかげで、理性を身に付けたのですから、

本能と理性を上手にバランスを取りながら生きているのです。

 

自分を律するということは、成熟を意味し、甘いも酸っぱいも苦いも

知っているという「強み」があります。

 

 

 

 

 

 

目まぐるしく変化する世の中で

今、何を軸として私たちは、決断を下せばよいのでしょうか。

 

 

それは紛れもなく、

「生物として生きることにおいて心地がよいか。」
「未来に繋がる生命へ豊かな環境を残せるか。」

でしょう。

 

それ以外の選択は、意味がないという可能性があります。

無駄な時間を過ごすよりも、この地球で、自分を高める時間を費やすことが

いかに難しいことか。

 

そのようなことは、当たり前であり、それも含めて人生を彩る必要があるのです。

 

 

そこには、猛烈な生命力が必要となるのです。

人類には、まだまだ秘めた力があるのではないかと

私は疑い、期待しています。

 

 

 

 

 

私は、今、自分がこうしたい!ああしたい!あれが欲しい!

とい私的な欲はありません。それは、これまでにそれらの欲を

満たしてきて、それではないなと気が付いたのです。

 

というよりも、自分だけの幸せでは物足りないくらい

愛おしい存在があるのです。

 

 

人が真剣に学んだり、人が勇気を出して挑戦したり、

人が他者との関わりで成長したり、キラキラした瞳で、疑問をもったり、

解決しようとしたりする姿勢を追うことが、幸せなのです。

 

もっとこうしようと自分でも不思議なくらいに

勝手にアイデアが溢れてきます。それを行動に移すことで、

私は生きています。

 

 

成長は、感化され、刺激を与えるものです。

 

そのような関係性を築けない場合は、本物の成長はなく、

共に居る必要はありません。

 

 

ですから、私は、自分以外のものの成長を本気で願うことは、

他者に意識を向けることでもなく、自分自身にしっかりと

向き合い、イケていない自分も含め、反省し、自己をより高めていくこと

に繋がっているのだと思います

 

 

なぜなら、社会の成長、他者の成長は、自己の成長無くしては

決して実現できないものだからです。

 

 

 

 

 

人は、生物である以上、いつか死を迎えます。

だからこそ、生ある時間を愛おしく尊い時間として捉え、

いつも、今日よりベストを尽くす。

 

それ以上もそれ以下もありません。

 

 

生ある時間とは、他者や社会通念に媚びることなく、

自分の時間を生きるということなのです。