子どもが育つために必要なこと

f:id:familylearning-full:20160402001321j:plain

 
春。
 
今朝も満開に咲く桜を見ながら、花や草木の芽生えに
胸が高鳴ります。
 
私は、日本の春が大好きです。
 
 
 
 この季節が巡ってくる度、人は人との出会いと別れを通して、
成長するのだと確信します。
どちらか一方ではなく、実は、両者共に成長しているのです。
 
 
 
母子関係や家族関係で、
"あなたのことを信頼している"
という絶対的な安心感を、子ども自身が尊敬し、愛する人から感じている時、
自由に考え、行動することができます。
 
 
 そして、他者を思いやり、集中して
自分の好きなことに没頭しています。
 
相手を尊重し、同様に自分自身をしっかりと生きている証なのです。
 
 
 
つまり、自分は、「信頼されるに相応しい人物」であると
自分自身に感じることは、「生きる自信」に繋がっているのだと思います。
 
その人の言動や仕草、言葉の端々に垣間見ることができます。
 
 
それは、一時だけで育まれるものではなく、小さな時間の積み重ねの
極普通の日常生活の中から養われていきます。
 
 
 
 
"信頼"
 
 
"安心感"
 
 
これらは、教育のプロや教育施設であっても、
その代わりを担いきることはできないのです。
 
 
 
 
 
 
そこに必要な要素の一つが「子どもとの距離感」を保つことです。
 
 
近すぎず、遠すぎない距離感です。
 
 
時に人は、近くなりすぎると、相手を理解していると勘違いし、束縛するようになるのではないでしょうか。
 
我が子の全てを理解するなんて、まず不可能なことです。
 
それに加え、相手の成長を止めてしまう可能性もあります。
同時に、子どもに執着することで、自分を苦しめていることさえあるのです。
 
 
 
 
私たちは、子どもの"成長可能性"を、どのくらい広げているでしょうか。
 
 
 本来ならば、この距離感は、子育てを通して、
互いに身体知として体得していることが望ましいです。
 
 核家族以前は、様々な他者が子どもに関わることで、
自然とこの距離感が存在していました。
 
 
また、かつての日本の子育てでは、それらの距離感を「日常の言語」
つまり、会話によって無意識に図っていたのではないかと思います。
 
 
 
日常のコミュニケーション。
謙譲語、尊敬語、丁寧語だけではなく、日本語の豊かな語彙と美しい音です。
 そんな会話が日常で溢れていたのでしょう。
 
 
 現代の暮らしぶりは、私たちが今、何気なく使っている言葉
が反映されていることもまた事実です。
 
 
人と人を結ぶ言語。
 
 
現代を生きる私たちは、その距離感をその時々の子どもの成長に合わせて
意識的に、調節する必要があるのです。