「女性の自立」かつての日本女性の「出産」は、暮らしに根ざし、呼吸するように自然なことでした。1人1人が自分のもつポテンシャルを信じることから教育は始まります。

 

「自分らしく、自由に、幸せに生きる」

 

これは、現代に生きる女性ならば世代を超えて

誰もが求めていることではないでしょうか。

「個」として「自立」して生きることが「幸せ」であると

誰もが疑わずに生きています。

 

しかし、私たちの「今」の常識が、時代と共に移り変わることもまた事実です。

私はそこに、疑問を感じてなりません。

人類の発展と進化を支えてきた「生き方」は、その時代やその土地によって

本当に変わるべきものなのでしょうか。

勿論、より豊かに変化することは、しなやかに生きていく上で必要なことは

承知の上です。

 

かつては、自然と共にあった暮らしのなかで得てきた智恵を、

わざわざ潰しているように感じることがあります。

 

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女性の「出産」1つを例にとってもそうです。

戦前は、家での出産が「常識」でした。

つまり、出産は、「暮らし」に根ざしてごく当たり前に行われていたので、

「いざ、出産!」と力を入れて緊張して行うものではなく、

呼吸することのように自然に受け止めていた女性は、

余裕をもって、出産を迎えていそうです。

そんな暮らしに根ざしていたからこそ、力まず自然に、

生命を迎え入れる心の準備は、出産時の呼吸や身体知にも影響を及ぼしたのでしょう。

戦後、助産師や助産院を無くす動きもあったそですが、今ではまだ300ほど

日本にあることが奇跡のように感じることもあります。 

 

 

このような智恵は一体、どこへいったのでしょうか。

 

自分も自然の一部であるから、自分に向き合い生きることは、

自分のそのままのポテンシャルを信じることになります。

 

それは、現代の教育において、「能力」は外から付随されるもの、

添付されるもの、獲得されるものという価値と相反するものです。

あえて申しあげるのならば、現代の教育は西洋医学的な考え方でもあります。

 

本来持っている能力を発揮する方法を教えないのですから、

他力本願で生きる子どもが育つことは、当たり前です。

 

どうして、過去にも現代にもこのようなことが行われていくのかと

思考を巡らせたときに、誰かが人をコントロールしようと試みたり、

支配しようと目論んだりするから、このような「考え方」や「価値」が

大衆を動かしているのだと気付きます。

 

教育も医療も、生物として生きる私たちの「知恵」からは遠ざかる一方です。

 

今だからこそ言えることがあり、気付くことのできる「隙間」がありますが、

今後、ますます、そこにも気付くことができず、

智恵さえも完全に忘れてしまう人が多くなるでしょう。

 

私たちがその知恵を後世へと引き継いでいかなければならないのです。

私は、日々、そのことを切実に受け止め、考えています。

今、どうすればいいのか。

どうすることができるのか。

自分には、何ができるのだろうか。

 

 

 

私たちは、自分の体を自分でコントロールする能力が備わっていたのです。

この事実は、私たちから生物としてもつ「女性性」を奪った便利なものや

時間短縮のために使われるものです。

想像してみてください。

あなたの周りにある「物」でいくつ当てはまるものが見つかるでしょうか。

 

出産も自分のリズムで、自分の呼吸で、

生まれてくる子どもの力に合わせて産むことができ、

毎月迎える月経も、自分でコントロールできたそうです。

昔は、綿花を少しつめるだけで生活しても着物は汚れなかったと書物で

読んだことがあります。

女性の身体知の智恵の一つですね。

 

昨日申し上げましたが、「女性性」を育むことは、

その時期に自分の体の変化と向き合い身体知を智恵として学んでいくことです。

そのくらい、女性は一生のうちに、出産も含め、自己成長を遂げる生き物なのです。

 

本来の女性の「自立」とは、経済的自立でもなく、家庭的自立でもなく、

社会的立場の自立でもなく、身体知からくる自分と向き合い、

コントロールすることのできる「自立」なのではないでしょうか。

 

無痛分娩というものをありますが、出産に自然な痛みが伴うことで、

我が子を大切にするというデータもあるそうです。

肌と肌を触れ合わせる行為は、人間を育てる行為の基本です。

そして、母乳で育てることは、自分を信頼し、子どもを信頼するという

相互の関係性を育みます。

 母乳での子育てから得られる価値。人と人との間のコミュニケーションは、「おっぱい」を通して「意思を伝え合う」経験から始まります。 - familylearning-fullの日記

 

 

 

 

 

最後に、私は、2016.1.21に以下の記事を書きました。

トイレで女児出産 ・日本で子ども 「虐待死」相次ぐ。なぜ!? 「命」を繋ぎ、育む、私たちの普遍的な価値は、50年後この地球上に存在するのでしょうか。 - familylearning-fullの日記

 

この女性が、人間の本来の力を信じて行動した自然な形だったのだとすれば、

その力の発揮の仕方や、子どもを育てるということの智恵を

幼児期・児童期・思春期と育んでいくことは、今、必須のことなのでしょう。

その知恵を母から子へ伝えること。

彼女がその知恵を体得していたならば、何のためらいもなく、

自らの手で命を受け取り、自分の胸にそっと当て、

幸福感で満たされていたに違いありません。

 

それが100年前までは常識であったように、

暮らしの中の一部として当たり前のように

社会が命を守ることができたのかもしれません。

 

この事実すらも、見えなくなるような現代社会で起きたことから、

私たちは一つ一つを出来事を、鵜呑みにするのではなく、

生物としての確かで普遍的な「価値基準」で見直し、

そこから、今、学ばねばならないのです。