「後世へ命を繋ぐこと」生物として普遍的な「女性性」を育むことは、自己を育て、豊かな社会の発展に繋がります。

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子どもを育てるという行為は、ずっと続いてきました。

皆、子ども時代があり、今もこのように生きていることがその事実です。

 

私たちは、自分がやるべきことを行動しながら生きていますが、

人類には、共通の目標があります。

 

それが「後世へ命を繋ぐ」ということです。

 

これは、普遍的なものであり、人類がもつ尊い価値の一つです。

私たちがこの地球に生まれてきた目的でもあるのです。

 

特に、女性は「自らの内に命を宿し、生み、育てる」ことのできる仕組みを

もっています。その女性性の発揮は、自分の命を育むことにも繋がっています。

 

私は、この「女性性」というものが、文化や思想、環境、言語を超えて、

「後世へ繋ぐ」という共通した価値を、生物として生きる

私たちの知恵の一つとして備わっているのだと考えます。

 

それは、女性の発達と自分の性を育む上で獲得していく学びであり、

自らの身体と思考が繋がっているとても自然な状態です。

 

1つの体から、1人の意思と人格をもつ人が生まれる。

 

その生物としての機能性と、自然な美しい生きる営みは、

よくよく考えてみると、本当に素晴らしいことです。

 

しかし、その能力の発揮の仕方を私たちは、知り尽くしているのでしょうか。

 

そのような生物としての普遍的な仕組みとバランスを保つポテンシャルを

もちながらも、現代は、それに蓋をしてしまっている状態なのです。

 

蓋をして生きざるを得ない状況であるというのが事実です。

 

空気、食、衣服、社会的立場、制度、常識、お金、

など、あらゆるものが、女性性に蓋をして、その下に埋もれてしまっているのが、

私たちの女性性であり、生物として生きる普遍的な価値でもあるのです。

 

 

2016年に生きる私たちは、これまでの親や祖父母が経験しなかった

環境下において子どもを育てなければなりません。

 

フェミニズムとかジェンダーだとか、そのような社会的立場の問題ではなく、

生物として如何に、子どもを守り、育てることができるのか。

 

そこを考える「最後の世代」になるかもしれません。

 私は、今、目の前の子どもたちを見て、ひしひしと感じております。

 

 

「後世へ命を繋ぐこと」

 

これは、教育以前の問題であり、教育の根本となるところです。

教育の目標は、人格を育てることにあり、そこに繋がる

「生命を育む」原点になります。

 

私たちは誰しもが、「人を育てる」ということを経験します。

故に、性別関係なく、皆が「子どもを育てる」ということに

もっと、真剣に考え、関心をもたなくてはなりません。

 

そして、いつかそれは「自分を育む時間」であることに気付くのです。

 

女性は、人が人を育むことのできる時間と環境を、

今、素直に一番求めてよいのです。

 

 

「今は、自分の目標に向かって仕事をしている。出産はまだいい。」

「早く、出産したい。けれど、今の私に育てられるかしら。」

 

このようなことは、その時期に考えるのではなく、

幼児期・児童期・青年期・成人の教育の段階で、

女性性をしっかりと育みながら、産む性である自分の体と向き合い、

生きることが教育の過程でも必要なことなのです。

 

それは、現代の性教育とは、少し異なります。

一番よい方法は、家庭で育んでいくことです。

母から子へ。

シンプルな形で。

身体や心の変化に向き合う小さな時間を子どもと共感し共有することです。

 

 

そのようにして、少しずつ女性性を育んだ子は、

子どもを産むか産まないかという選択ではなく、

皆が同時に産むという選択をし、子どもが授からなくても、

他者、地域、社会の子が豊かに育つことに直接的、間接的に

関わり、誰もが女性性を解放し、発揮することができるのです。

 私たちは、そのことを本能的に知っています。

 

子どもは、親とか教師とか近所の人だとか、

そのような立場上の枠では人を判断しません。

 

その人が、自分に真剣に関わってくれているか。

言動に愛があるのか。それを一瞬で見抜きます。

だから、いくら媚びて子どもに近づいても容赦なく見抜かれます。

それが、純粋な子ども性のもつ生きる知恵の一つです。

それを見抜かなければ、生きていけないのです。

 

 

女性性を育みながら、生きることは

 

「後世へ命を繋ぐこと」

 

私たちの普遍的な価値、

命の営みを

自然な循環で生きること。

 

それは、とても美しいことなのです。