「児童の暴力急増による対応」その根本的な解決策を!現代の「子ども観」は未来どのように変化するのか。

「暴力」は、相手が大人であれ、子ども同士であれ、家族であれ、

決してあってはならないことです。これが、私の結論です。

 

児童の暴力急増、多発の小学校に元教員ら配置 大阪:朝日新聞デジタル

2016.2.2

 

小学校で児童の暴力行為が急増していることを受けて、大阪府教育委員会は新年度から、発生件数が多い府内12校に校長経験がある元教員やスクールソーシャルワーカー(SSW)らを配置する方針を固めた。専門チームを作り、対応に追われる教職員らの支援にあたる。

 府教委などによると、大阪府の小中高生の暴力行為は2014年度、千人当たり10・6件と全国最多。府内の公立小学校で起きた暴力行為は、11年度の871件から14年度は1905件と急増。全校の約5%にあたる50校で半数以上の1002件の暴力行為が起きているといい、特に発生件数が多い対象校の重点的な支援が必要と判断した。

 計画によると、校長OBを週4日配置し、授業の補助や若手教員らの指導にあたる。教員志望の学生も週3日派遣し、児童の悩みの聞き取りなどをする。ほかに家庭や生活環境の課題解決に取り組むSSWを2週間に1回、スクールカウンセラー(SC)を週1回配置する。これらの経費として府の新年度予算に約7700万円を盛り込み、今後も対象校を増やすことを検討している。

暴力多発小学校に専門家配置の方針~大阪府教委 (毎日放送) - Yahoo!ニュース

2016.2.2

 府教委によりますと、全国の小学校でおきた児童の暴力件数のうちおよそ2割にあたる1905件が大阪で発生していて、全国最悪の水準だということです。

 このうち半数以上が特定の50の小学校に集中していて、府教委はこうした小学校に対してスクールカウンセラーやスクールソーシャルワーカーを重点的に配置する方針です。

 来年度にむけ、約1億7700万円の予算を要望していて、議会で認められれば今年4月から実施する方針です。

 府教委は今後2年間で暴力行為の件数を半減させたいとしています。

 

 

この記事で、私たちが考えなければならないことは、

子どもの暴力(実際にあったとして)の「根本的解決」を図ることを

第一優先にして行動するということです。

 

スクールカウンセラーを配置すれば、「暴力が半減する」という大人の目を

増やすという解決策では根本の解決に至らないのではないでしょうか。

 平成20年度「児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査」結果(暴力行為、いじめ等)について:文部科学省 

 

 

なぜ、子どもは「暴力」を振るってしまうのかと考えた時、

外的環境からのストレスによる原因が1つ挙げられます。

 

子どもを取り巻く環境を見てみましょう。

例えば、添加物の入った食事を取らざるを得ない状況。

テレビ・ゲーム・パソコン・携帯などによる電磁波。

子どもが身体を動かす屋外にある場所の激減。

不審者対応による、他者を警戒する心の芽生え。

言語力の不足。コミュニケーション能力の低下。

心から安心し、安全な場所である家庭の多忙な状況。

義務教育時間外の習い事の常識化。

 

など、子どもが「子どもの時期」を思いきり豊かに過ごせる時間が、

現代の社会では、確保できていないのではないでしょうか。

 

では、これら全てを子どものを取り巻く環境から無くしたり、増やしたりすれば

よいと言うわけではありません。

なぜなら、人の成長にはストレスも必要だからです。

人間、そのバランスを取ることが大切なのです。

 

このような、「外的要因」だけではありません。

子どものもつ「内的側面」から考えてみると、

乳幼児期・児童期・青年期を過ごす上で、心身の発達だけでなく、

1人1人のもつ好奇心と探求心を発揮する「子ども性」のようなものを

十分に発揮する「時間」と「空間」は、人が、人格を形成し、

成熟させていく上で不可欠です。

 

そもそも、「大人」と「子ども」は、制度上分けられていますが、

人間の精神性の発達からすれば境界線などなく、

子どもでも精神的自立と、知的能力、才能を既に兼ね備えている子もいます。

 

大きな違いと言えば「失敗する回数」ではないでしょうか。

例えば、子どもは、失敗することで多くを学びます。

失敗は次への修正へと変わり、よき行動に変化していきます。

 

私は、「失敗」という言葉をあまり口にしないのは、

現代社会では、ネガティブな意味合いが強いからです。

どちらかと言うと、その行為は「修正していくための知恵」だと思っています。

 

失敗や成功は、ある1つの方向から見た視点であり、違う視点から見ると、

違う結果が得られるからです。

余談ですが、子育てに失敗も成功もありません。

それは、「今」その人の人格を育てるという真剣勝負の時間なのです。

だから、その結果よりも、「過程」でどれだけのことを学んできたかの方が、

重要だと思っています。

 そして、人格に大きな影響を与えると考えます。

 

 

「暴力」は絶対にしてはいけないこと。

それは、何度でも言います。

 

 

では、私たちに「根本的な原因」に対するアプローチで、

今すぐにできることをもう少し考えてみましょう。

 

 

まず、子どもが「どうしてその感情になるのか」を、

豊かな言語で自分の感情を理解する助けとなることです。

 

人間は、言語化し、アウトプットして初めて自分で理解できるのです。

つまり、この何とも言えない沸き起こった感情を、処理し、理解し、

行動に移すには「言語」が必要です。

内面で考え続けていても、もやもやが増すばかりで理解できないのです。

「それならスクールカウンセラーの人が必要ですね。」

という議論になるかもしれませんが、

ここで重要なのは、基本的信頼感が確立されているかということです。

子どもの方から心を開かなければ、何も解決しません。

そこに寄り添い、語れるのは、日常を共に過ごす、私たち親・教育者なのです。

 

 

次に、「想像力」を発揮させることです。

自分の行動したことでどのような結果になるのか、

少し先を予想し予測させることです。

その力がなければ、人は生きていけないのです。

 

芸術で発揮する「想像力」と「創造力」は、日常で発揮されているのです。

全ての子どもたちは、意思をもつアーティストであり、

クリエイターだと私は、思っています。

 

最後に、人間との関わりの土台をなす「思いやり」の気持ちを高めることです。

相手のことをどれだけ思いやれるかということです。

私たちは、今現在「個としてどのように生きるか。」ということが

大人も子どもも求められています。

それは、良い面では自律した人間と言えますが、

悪い面では、自己中心的な私欲ばかりを重視する人間と言えます。

 

自分だけの利益を求めても、それには限界があることをいつか気が付くのですが、

人は体験及び経験してみなければ体得できないこともあります。

 

結局は、他者と共に、よりよい環境を作っていかなければ、

自分の能力も、自分の才能も発揮せずに死んでいくことになります。

 

そのことを深く理解していれば、

本来、他者に「暴力」などしている場合ではないのです。

なぜなら、それは自分自身を傷つける自傷行為でもあるからです。

 

相手を大切に「思いやる」ことは、自分を大切にすることになります。

それを、子どもたちは、しっかりと体得する必要があり、身近な大人が、

言葉や視線、態度で示していくことが何よりも近道だと思います。

 

 

そして、近年「子ども観の変容」を私は、強く、懸念しています。

「子ども観」というのは、

その時代の社会や大人が子どもをどのように捉えるかという見方です。

 

この件で言えば、メディアにこれらが取り上げられることにより、

子どもは「暴力をする可能性のある人」だとする風潮が高まるでしょう。

 

そのような結果を受けて、先手を打つようにあらゆる決まりを設けて、

さらに厳しく取り締まろうと大人はすぐに考えます。

 

でも、それは、根本的な問題の解決には至らないことを覚えておく必要があります。

 

また、「子ども」を一括りで見ることは大変危険なことです。

例えば、ある子が暴力を振るったとします。

「子どもは暴力を振るう」として、その他の子にも規則を設けるということは、

よいことなのでしょうか。

 

1人1人違う。

この事実をしっかりと認識しておきたいです。

 

感受性も、思考の仕方も、表現方法も「違う」のです。

一斉に、同じことを伝えたとして、同じように理解されては、

ロボットの教育と同じです。

 

1人1人には、その生きてきた生活背景、生活体験があり、

そこに応じた、言葉と視線、情報を送らなければ、我が子の理解に繋がりません。

 

この「子ども観」について、私たちの「常識」のなかで、

今後どのように変容していくのか、見続けたいと思っています。