園児虐待 保育所・介護施設の実際 韓国で監視カメラ!?乳幼児を取り巻く環境の根本的な解決を図りましょう。「施設」に預けるという発想ではなく、社会を担う私たちが「今」できること。

 

今、乳幼児を取り巻く環境が大きく変わろうとしています。

 

f:id:familylearning-full:20160127215903j:plain

 

 

働く女性が増えることに伴って、家庭とは別の施設で生活する子どもたち。

児童虐待、児童貧困、待機児童など、数えきれないほどの

大きな課題のしわ寄せが、私たち一般市民、特に子どもをもつ親、

お年寄りなどに関わる環境の中で、顕在化してきています。

 

託児所で6歳男児を暴行か、保育士の女逮捕(TBS系(JNN)) - Yahoo!ニュース

2016.1.27

 東京・北区の託児所で男子児童に粘着テープを貼って、いきなりはがすなどの暴行を加えたとして、保育士の女が警視庁に逮捕されました。

 逮捕されたのは保育士の南木愛美容疑者(28)で、今月15日、北区にある無認可の託児所で6歳の男の子の両手を紐で後ろ手に縛り、口や目に粘着テープを貼って、いきなりはがすなどの暴行を加えた疑いが持たれています。

 また、南木容疑者は、この男の子に対し、裸にして立たせたり食べ物にコショウやカラシを入れたりしたほか、水を張った洗面台に顔をつけさせていたということです。南木容疑者は容疑を否認していますが、警視庁は他の児童にも日常的に暴行を繰り返していたとみて詳しく調べています

(27日16:55)

 

韓国 保育園の園児虐待事件に衝撃、監視カメラの設置が議論に

2015.1.19

この事件は「セウォル号沈没事故に次ぐ最も衝撃的な事件」と言われている。韓国仁川(インチョン)の保育園での園児虐待事件は、韓国全国の関心を集め、親の通報もいたるところで発生している。韓国MBCの18日付報道によると、仁川市富平区にある別の保育園は、保育士が園児に暴行を加えたとして告発された。園児が遊んでいたところ、保育士に殴り倒されたり、授業中に教師に生徒が押されたりしたという。韓国警察は保育園について捜査に乗り出し、25歳の保育士の暴行の様子が映った監視カメラの画面を確保した。

韓国・ニューシスの18日付記事では、園児虐待事件を受けて、韓国与野党は、同じような事件の再発防止のため、法律を制定する方針だ。2月の国会で、園児虐待事件の再発を防ぐ法案が優先的に審議されることになった。

韓国KBSによると、これまでも園児虐待事件が起こる度に、監視カメラの設置を義務付ける法案が議題に取り上げられるが、国会でいろいろな反対に遭い先送りになってしまう。「人権侵害」が問題視されている。韓国の法では、監視カメラ設置を義務付けられる対象は、地下停車場と刑務所だけで、保育園に監視カメラを設置すれば、保育士が潜在的な犯罪者として扱われるかどうかの議論を巻き起こす恐れがある。国会議員によると、韓国では園長のオフィスで園児虐待事件が起こったことがある。したがって、公共の場に1つ2つの監視カメラを設置するだけで、園児虐待事件を根絶できるかどうかは考え物だ。そして、立法の均衡性にもつながる。法の均衡を示すために、介護施設などの場合も、監視カメラの設置が必要だ。虐待事件が起こった保育園では、私立保育園が多くを占めることから、全体の5%しかない公立保育園の拡充が喫緊の課題だという声も出ている。

 

そもそも、保育とは 

 

1乳幼児を保護し、育てること。

 

 

2 乳幼児の心身の正常な発達のために、幼稚園・保育所などで行われる養護を含んだ教育作用。

 

 

保育に関わる場所は、虐待が起こるべきところではないことは

言うまでもありませんが、管理・監視するべきところでもありません。

 

そもそも、監視カメラが必要な危険な場所に預けようと思う親は

いないでしょう。

上記記事の韓国の事例は、根本の解決には至らず、

誰に、何の目的で管理される必要があるのでしょうか。

 

 

 人間は、他の生物と違って、未熟な状態で生まれます。

生まれ出た瞬間から、母乳及び心身の世話が必要であり、

その保護に関わる者は、赤ちゃんとの関わりを通して、

愛着を形成し、その保護する過程で、人は互いに成長するのです。

 

女性は、母となり、男性は、父となるのです。

 

これは、形式上の名称だけではなく、生物として生まれ、

心の成長や心身の変化を経て、私たちに人として生きる「豊かさ」をもたらします。

 

さて、本来であれば、そのような「関係性」を育む、

重要な役割を担っている場所が「家庭」であり「保育所」です。

 

保育所とは、養護と教育が一体となり、児童福祉施設最低基準及び、

保育所保育指針に基づき、保育を行う場所です。

児童福祉法のもと、児童福祉施設として、保育所が設置され、

何らかの理由によって十分な保育が受けられない0歳から小学校入学前までの乳幼児を対象として保育を行っている場所です。

共働き家庭は、現在では保育所なしでは、子どもを育てることができないのです。

このような「保育所」に預ける家庭は、年々、増しており、

保育所と学童が併設されている施設もあり、11時間以上も、この施設に預ける

という事実もあります。

私立の保育園では、お迎えの延長によって課金されるシステムも

あるようで、共働き家庭からすると、現在の日本では、待機児童を含め

課題がある「保育」環境なのです。

 

一方で、施設側にも課題があり、そこで働く保育士も過酷な労働環境であることは

以前述べました。

「待機児童問題」「保育士待遇」子供を取り巻く混沌とした社会から「生物として自らの内に命を孕み繋いできた祖先」からの知恵を探る。 - familylearning-fullの日記

2015.11.10

 

 

 

私は、人が生まれて6歳まで、非常に大事な時期だと考えています。

三つ子の魂百までという言葉がありますが、

6才までに、ほぼ人間の基本土台になる人格、感性はできあがっています。

この6年間に、どのような環境で保育及び教育を受けるかは、

人としての根幹を成す「時間」なのです。

 

正直に申し上げますと、保育所の環境、教育内容、保育士養成には、

大きな問題があると思っています。

それについて、ここで話すと、明日の朝を迎えますので割愛しますが、

いずれ記していきます。

このようなことが起こるのは、保育士の人間性、精神状態などの問題だけではなく、

社会的な問題だと考えています。

 

なぜなら、個人も社会も一体だからです。

 

また、保育に現場に留まらず、

社会福祉士事業が数々あるなかの一つ「介護施設」でも、

このような虐待が後を絶ちません。

 

虐待?高齢者ホームで「はよしね」 方言の意味は?(テレビ朝日系(ANN)) - Yahoo!ニュース 2016.1.27

障害者虐待が大幅増 26年度 通報など69件、認定は40件 愛媛 (産経新聞) - Yahoo!ニュース 2016.1.24

 

 愛媛県は、平成26年度の県内での障害者虐待の状況をまとめた。県や各市町の障害者虐待防止センターなどに届け出・通報があったのは69件と前年度(21件)に比べて大幅に増加し、虐待と認定された事例は40件と前年度比で25件増えた。

 県障害福祉課によると、虐待と認定された事例のうち家族ら養護者によるケースが39件、障害者福祉施設の職員によるものが1件。虐待と認定された事例を分類(重複を含む)すると、たたくなどの身体的な虐待が26件と最も多く、暴言をはくなどの心理的虐待が16件。このほか、障害者年金を渡さないなど経済的虐待10件、食事を与えないなど放棄・放任7件、性的虐待4件だった。

 同課は「障害者虐待防止法が浸透し届け出や通報が増え、問題が重大化する前に行政が問題解決のため対応できる。虐待が疑われる場合は行政の窓口に相談してほしい」と話している。

 

 

要介護者、爆発的増加で予測不能事態も…3K労働で介護施設も職員も絶対的に不足 (Business Journal) - Yahoo!ニュース BUSINESS2016.1.27

 

 安倍晋三政権が「一億総活躍社会」の実現に向けて打ち出した“新3本の矢”のひとつである「介護離職ゼロ」が、早くも折れかかっている。

 介護離職ゼロとは、文字通り介護のための離職者をゼロにすることを指す。総務省の統計によると、介護を理由に離職や転職をする人は現在約10万人いる。安倍政権は、これを2020年初めまでにゼロにすることを打ち出した。

 その具体策が「介護保険事業計画」だ。同計画では、介護施設、ケアハウス、グループホームなどの入所者数を20年度までに38万人以上増やし、さらに24時間対応の定期巡回・随時対応型サービスの充実により、施設と在宅を合わせて10万人分の介護サービス利用を拡大、加えてサービス付高齢者向け住宅の供給を2万人分増加する。これらを合計すると50万人以上になる。


  いくら施設数が増加しても、介護職員数が増加しなければ十分な介護を受けることはできない。「3K(きつい、汚い、給与が安い)」といわれる介護職員は、慢性的な人員不足の状態が続いている。

 厚生労働省によると、08年度から13年度までの6年間で要介護者は約130万人増加した。同時期に介護職員は約50万人増加している。この間、介護職員1人当たりの担当する要介護者は3~4人で、ほぼ横ばいの状態が続いている。しかし、団塊の世代が75歳以上となる25年までには介護職員を253万人に増やす必要があるにもかかわらず、推計では介護職員は215万2000人にとどまり、37万7000人の不足が生じると指摘されている。       

 

 

私たちの命は、決して平等ではないですが、

どのような精神・身体・知的状況であれ、互いに共存できることが

正しい道だと思います。

昨今、様々な企業が、老人ホームや介護施設などの

事業にのり出す状況を見て、お金ではなく、

そこに心なければ、保育同様に、介護も行うことができないのです。

 

そして、このような場所は、閉塞的になりがちなのですが、

もっとオープンにしていくべきです。

 

幼児もお年寄りも「意思」がありますから、

その表現する手段が私たちの理解に及ばなくても、

社会的な営みのなかで生活することが必要なのです。

 

人と何気ない話をして、

気に入った衣服を清潔に着こなし、食事を楽しむ。

 

「介護」「養護」「保育」

という言葉が独り歩きして、

「~させる」「~しなければならない」

と計画書に縛られているのではなく、

人が人として、あるべき姿生きることを営むことは、

そこに、共に寄り添い、生きることでしか

「保育」も「介護」も生まれてこないのです。

 

このような言葉は綺麗ごとだとお考えの方もおられるしょう。

日常は、本当に過酷で、辛いことです。

しかし、それが事実であり、人間なのです。

 

私たちの「常識」というフィルターを通し

判断し、理解に努めるのではなく、

人として、生物として、本来のあり方を

再度、私たちは見直し、考えていく必要があります。

 

それは、あなた自身のことでもあり、

あなたの未来そのもだからです。

 

 

そして、乳幼児とお年寄りの関係ですが、

人間が100歳まで生き延びているのは、次の次の世代まで

関わり、生命の進化を助けているということも

考えられるのではないでしょうか。

 

 

核家族が主流になった、現代で祖父母と暮らすことは

珍しいことですが、(ドラマで作られた嫁姑問題などいっている場合ではない)

人が、人らしく生きる上で意味のある家族形態だったのかもしれません。

そう考えると、物理的に無理であっても、

子育てには、そのような子どもを取り巻く、関係性や立場を

担う人たちがいることが大切です。

 

それが、あなたにとっては近所のおばさんかもしれないし、

保育所の先生、カフェの定員さん、お花屋のおじさん、

お隣さんのお子さんかもしれません。

 

本来、家族というものは、一組のカップルから誕生した命を

「保育」し「教育」し「介護」する人同士の「関わり」であり「営み」

でもあり、血縁関係、制度などを超えて繋がっていけるのです。

 

その「命」と「命」の関わりかから、人は多くのことを

学ぶのです。

 

 

私たちの現在の常識であり、発想にある、

「施設に預ける」という概念を超えて、

私たち1人1人が今もなお、そこに関わっているおり、

手を差し伸べる義務があるのだと思います。

 

それは、道をすれ違ったとき、電車に乗っているとき

いつでも、どこでも行動するこができます。

 

踏切を渡ろうとしている老人を少し気に掛ける。

通勤ラッシュのなか、右手に子どもの手を引き、 左手に大きなバックを

抱え、電車を降りる女性を少し気に掛ける。

新幹線のなか 我が子に母乳をあげる姿を見守る。

 

社会には、様々な状況で生きている人たちがいるのですから、

「自分と違う」「常識と違う 」からと言って

排除したり、傷めつけたりすることは、

あなた自身を傷つけることと同様なのです。

 

 

ほんの少し、広い心で、

笑顔で、気遣いで、思いやりがあふれだす

「今」を私は、生きたいです。