都立高生徒「自殺」この事実を私たちはどのように受けとめ、生きていくのか。生徒たちへー「命」と「人の心」とライン・メールの「文字言語」について、覚えておいてほしい2つのこと。

 

 人は、どうして、人を戒めたり、嫌がらせをしたりするのでしょうか。

 

なぜ、人は、自分の命を絶つのでしょうか。

 

現在、教育では「いじめ」が大きな課題になっています。

それは、我が子を真剣に育てようとしている親・教育者には、

隅に置いておけない問題でもあります。

 我が子を亡くした親の気持ちは容易に言葉になるものでは

ありません。

 

ここでは、この記事を受けて、人の心について、

そして、私たち全体としての在り方を考えていきたいと思います。

 

都立高1自殺、いじめ有無調査 都の対策委が部会設置- 記事詳細|Infoseekニュース

2016.1.25

 

 東京都教育委員会のいじめ問題対策委員会は25日、昨年9月に自殺した都立高1年の男子生徒=当時(16)=に対するいじめの有無を調べるため、調査部会を設置した。

 男子生徒は昨年9月27日夕、山梨県大月市のJR中央線大月駅のホームから飛び込み、特急電車にはねられ、死亡した。

 関係者によると、昨年10月、男子生徒のツイッターや無料通信アプリLINE(ライン)に、トラブルに遭っていたことをうかがわせるやりとりがあったことが判明したといい、遺族が「いじめがあったのでは」と、学校に調査を要請。

 学校は昨年11月中旬、全校生徒に情報を求めるアンケートを実施した。

 

都立高1男子自殺 生徒の母親がいじめの可能性を指摘(フジテレビ系(FNN)) - Yahoo!ニュース  2016.1.25( 母親記者会見映像 参照 )

 

都立高校に通う1年生の男子生徒が去年、自殺したことを巡り、東京都教育委員会は母親からの要望を踏まえ、男子生徒へのいじめがなかったか調べるため、外部の有識者でつくる調査部会を設置しました。
男子生徒の自殺を巡り、高校は去年11月、全校生徒を対象にアンケート調査を行いましたが、自殺につながる原因は特定できなかったとしていました。
これに対し、母親はLINEやツイッターのやり取りに、部活動でのいじめが疑われる記述があり、学校が行った生徒への聞き取り調査は不十分だとして東京都教育委員会に徹底した調査を行うよう求めていました。
これを踏まえ、都教育委員会は、3年前に成立したいじめ防止対策推進法などに基づいて大学教授や弁護士、それにいじめ問題に取り組むNPOの理事など外部の有識者8人でつくる調査部会を設置し、いじめがなかったか調べることになりました。
25日開かれた初会合では、男子生徒の母親が意見を述べ、学校で何があったのか事実関係を解明するとともに、これまでの学校側の対応を検証するよう求めたということです。
会合のあと、部会長を務める日本女子大学の坂田仰教授は「遺族の疑問に答えられるよう、事実関係が明らかになるまで調査を続ける」と述べました。
 
男子生徒の母親は調査部会で意見を述べたあと、記者会見しました。
この中で母親は「将来の夢をしっかり決めていた息子がなぜ死ななければならなかったのか。息子の死後に初めてLINEやツイッターを見たところ、いじめが疑われる記載があり、学校に対して、いじめの調査をするよう何度も要望したが、調査を始めたのは要望からおよそ1か月後だった。学校には亡くなった息子と遺族に寄り添って調査をするという気持ちが感じられなかった」と述べました。
さらに学校が行ったアンケート調査でも男子生徒が孤立していた様子が伺えたにもかかわらず、周りの生徒への聞き取り調査は表面的で不十分なものだったとして聞き取り調査などをやり直すよう求めました。
そのうえで、「自分の子どもが、みずから命を絶つところまで追い詰められたと想像してほしい。今回の調査では残された親の身になって人ごとではなく自分のことと思って調査をしてもらいたい」と述べました。

 

 

高校生自殺 都がいじめの調査部会を設置 NHKニュース

2016.1.25

 

 

 

まず、この男子生徒が自殺し、自らの命を絶ったという

事実は、あってはならないことです。

 

「いじめがあった、なかった」ということに関わらず、

このようなことは、二度と起こるべきことではないです。

 

人には失敗して成長することと、

絶対に誤ってはいけないことがあります。

 

その一つが人の命を危険にさらす行為と、

自分の命を絶つということです。

 

そして、よく、「皆に平等に与えられた命」と言いますが、

私は、どの命も平等ではないと思っています。

 

つまり、人は、「今」ある環境のなかで、

自分の時間を生き、自分の才能を見つけ、

自分の命を遣うことになります。

 

あの身体があれば・・・

あの才能があれば・・・

 

と他者を見て、どれだけ渇望したとしても、

それはあなたではないのです。

 

そして、顔も身体も、声も性格も能力もセンスも

皆、唯一無二の自分を生きているのです。

 

そのような「違う」ということが前提にあるので、

まず、平等=皆等しく同じということはありません。

 

また、必ず人は死ぬというリミットがありますから、

それはいつ訪れるか分からず、

その時間も既に平等=皆等しく同じということはありません。

 

 

 

なぜ、いじめは起こるのでしょうか。

 

人間は、生まれてからいろいろな出会いや学びの機会を

経て、人格を形成していきますが、このように12歳~18歳の

多感な時期に、経験する友人関係、恋人関係、親子関係から

全身全霊で、多くの事を体得していきます。

 

そのような経験が土台となり、

人は、大人になっていきます。

 

そして、人は揺れ動き、変わる存在です。

それは、以前にも申しましたが、他の生物とは違って

思考し想像できる人間だからこそ、できる特徴でもあります。

 

私が、多くの子どもたちと関わってきた経験のなかで、

人には、良い心と悪い心が両方あるということに気づいたのです。

 

関わりによって、どちらか一面が出ることがあるのでしょう。

 

人は、そのようなどちらの心も持っているのですから、

自分で、それをコントロールしなくてはなりません。

人にコントロールなどされる必要もなく、

自分でしなければいつまでたっても他人の人生を生きることに

なります。あなたは生まれた時から、親とは別の人格なのです。 

 

そして、その自分で自分をコントロールできる力が自立するということです。

その心を支えているのは、「自分への期待や自信」です。

 

自分のことを大切にできること、

そして、同じように相手も大切な存在だと気づくこと。

 

決して、自分を卑下する必要はないのです。

 

もしかして、社会や学校は、あなたをある一定の基準値でしか

見ないかもしれません。

それは、あなたをそういう人だと判断したのではなく、

あなたをそのように判断しなければならないシステムが

あるからなのです。

 

学校では、「あなたはこういう人です」と通知がきますが、

それは、あなたの人格を決めるものではないのです。

 

それをよく覚えておいてください。

 

なぜなら、日本中にこれだけたくさんの人がいて、

どうやって教育しようかと考えた時、

「そうだ!このカテゴリーに入る人はOK!」

「それ以外の人は、このくらいで収めるようにしよう!」

「自分でいろいろと考えられては困るから、先に枠と基準を決めておこう。」

「言うことを聞く人を育てるには、このやり方が手っ取り早いな。」

 

と、トップの人は考えるでしょう。

それが一番、効率的な教育ですから。

 

あなたは、生まれてからこのシステム上で生きていることを

知らないのは当然です。

 

だから、あなたが学校でいろいろなことに疑問を感じたり、

退屈してしまうのも、当然のことですし、それは生物として

健全な証です。

 

 

 

もう一つ、覚えておいてほしいことがあります。

 

人は、集団になると、変わってしまうこと。

集団の思考に流されやすいということです。

 

集団の思考も、個々の考えが集まって構成されたものです。

あなたは、あなたですから、そこに染まる必要はないでしょう。

一番、泣いているのはあなたの良い心かもしれません。

自分に正直でいることは、時に辛いこと。

でも、死ぬ前にきっと、自分を肯定したくなると思います。

 

 そして、今、よく使われているラインやネット上での

「文字言語」についてです。

あなたが顔を見合わせて、

友人に冗談を言ったり、からかったりすることは、

人との距離感を計るうえで大切な力です。

 

依存と自立の境界線を行ったり来たりして、

信頼関係を築いています。

 

それは、顔が見える距離に、他者が居て初めて成り立つものです。

 

同じ空間を共に共有して初めて、成立するのです。

 

所謂、これがコミュニケーションと呼ばれるものです。

 

ですので、ネット上のメール、ラインでの文字言語、スタンプ、絵文字

では、絶対に「想い」「意図」は伝わらないのです。

 

だから、そのことを理解して使うべきです。

 

私はメールなどのやり取りで、大事なことは共有できないと

思っています。便利である道具が、

実は、人間関係を希薄にしている。

いつもそばにあるのは、友達ではなく、携帯電話を通しての 友達なのです。

 

そこには、大きな違いがあります。

 

 

 

最後に、大人に言いたいことですが、

このようないじめの問題が起こると、必ずアンケートが実施されます。

このアンケート意味があるのでしょうか。

その理由をここで述べるとなると、レポート5枚ほどになるので、

省略しますが、想像すれば解ることです。

 

昨日記しましたが、

ICT教育導入によって、例えば、将来的に

カメラを設けて、子どもたちの言動を管理することは、

本来教育が成すものとはかけ離れていることであり、

やる必要はないと思います。

 

なぜなら、根本の解決にならないからです。

 

 

このように人は、管理・監視体制のものとでは、

人として成長することができないのです。

 

 

 

そして、いじめがある、ないに関わらず、

根本的な教育問題、社会で行われていること、

大人と言われている人の全ての言動は、 

子どもたちに背中で語れるものに

なっているでしょうか。

 

 

「仕方がない・・・」

そんな言い訳をする社会で、誰の生き方、学び方に

真似ぶのでしょうか。

 

伸び伸びと健全な社会を築くことは、

大人も子供も、今、一番早急にやらなければならないことなのです。

 

例えば2016年1月現在、マイナンバー制度が進められようとしていますが、

それは、本当に私たちの生きる社会に必要でしょうか。

番号も、通知カードなんていうものも、本来要らないのです。

受け取っても、返還すればいいです。

マイナンバーカードというものを自ら作成することは言うまでもなく、

要りません。そのことの先に、どのような

社会が待っているかは、想像がつくはずです。

 

 

私たちは、自分が社会を作っているのですから、その一員として

深く、広く、そして思慮深く、年齢に関係なく

自分の頭で考えなければ、豊かなよい社会は訪れません。

 

人に頼っても、テレビや人の意見に右往左往しても、意味がないのです。

 

 

しかし、 今、私たちの身の回りの社会は、なんだかおかしいですから、

考える「余地」「余白」があります。

 

それが、本来の学びです。

それは、年齢に関係なく、見つけ、探し、考えることができるのです。

そのくらい絶好の学習の機会なのです。

 

あと、30年、50年、100年したら、

その「余白」すら残されていないことが予想されます。

 

人類で、これまでの自分の頭で考え学習の機会はないかもしれません。

 

そのための知恵を身につけるのです。

生きていくための知恵でもあり、

その知恵は、あなた自身でしか見つからないのです。

 

 

そして、このような社会をつくっている大人と自覚した大人は、

あなた自身の行動を見直す時なのです。

 

 

人は、赤ちゃんの頃、模倣から学習をスタートさせます。

その鏡となる私たち1人1人の「今」の

生き方が、この「いじめ問題」の根本を解決する糸口になるのだということを

私は、自分を疑い、自覚し、生きていきいと思っています。