言葉をつかうということ

 

人から生まれて、すぐに消えてしまう もの ってなぁに?

 

 

 

 

 

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それは、「シャボン玉」と会話による「言葉」です。

 

人は、「言葉」によって、共感し、共鳴することのできる動物です。

子どもたちを見ていれば、そのことがよく解ります。

 言葉以外で、コミュニケーションをとっていることは、

もちろんのことですが、ここでは「言葉」について

述べたいと思います。

 

 

子どもたちは、話し言葉から書き言葉、読み言葉と順に習うことで、

「感ずることのできる世界」が拡がっていきます。

それは、自己表現することの楽しさを知り、

自分自身に出会う行為そのものです。

 

 

風で、落ち葉が落ちる瞬間を見て、はっとしたり、

真っ赤に染まる夕焼けを見て、うっとりしたり、

そのような何とも言葉にならない日常の心動く瞬間を、

子どもたちは「言葉」にすることで、認識し、世界を享受していくのです。

 

 

そのような人類の進化に欠かすことのできない「言葉」ですが、

その「言葉」が、逆に子どもたちの「感受性」を縛ることも多々あります。

 

その言葉によって概念付けされた意味は、感ずる前に

目の前の状況を決めつけて観察することの危険性も孕んでいることも、

私たちは、心に留めて子どもの教育にあたらなければならないのです。

 

もう一つ、この「言語」を獲得していく過程は、とても重要な

時間であり、知識だけではなく、生活体験などの実体験から

少しずつ、体得していくことが望ましいのです。

 

また、記憶することで「執着」に繋がることもあり、

既成概念を外すことができないこともあります。

 

 

このような「言葉」の特徴を捉えるならば、

「ひらがな」を書くということについても触れておきます。

 

誰もが習ってきた、この「ひらがな」を書くという「時間」と「行為」は、

ひらがなを書くことができるようになるという技術的なものよりも、

それ以上の「身体知」、「感性」にも大きく影響を及ぼしています。

 

ひらがなは、独特の形をしており、

止め、はね、はらい、そして、ややななめ、まる、さんかく等の

形が特徴的です。

 

文字を一字一字、数十日をかけて習熟していくことは、

とても大切なことなのです。

その文字を書くには、「姿勢」と「呼吸」が整っていなければなりません。

 

そして、一字一字を書く中で、必然と「優しさ」と「思いやり」の気持ちが芽生え、

同時にそのセンスを養うことなるのです。

 

これらは、道徳からではなく、

文字を書くことから、始まり、体得されるのです。

 

 

「ひらがな」を書くことができるようになるということは、

諸外国の言語を必死で学ぶよりも、人として、大切なことが学べると考えます。

 

 

外国の方は、このひらがなを書くことがとても難しいと言います。

ゆったりカーブをしたり、やさしく円を書くようにしたり、そのセンスは、

日本人独特のものだと感じています。

 

 

音もそうです。

日本語の響きと、ひらがなの響きを感じてみてください。

そして、日常のなかで聞こえてくる音を、擬音語・擬態語にしてみると

子どもたちは、あらゆる言葉を組み合わせるセンスをもっていますから、

面白い遊びにもなるのです。

 

このような「言葉」あそびを楽しめるセンスを養っていくことは、

自分で考え、表現する素地を作ることにもなるのではないでしょうか。

 

 

純粋に他者と、「言葉」を通して、

共感し、共鳴し、批評し、交流し合うことは、

とても、愉しいことなのです。

 

互いに目と目を合わせて、「会話」する楽しさをもっともっと

子どもと一緒に、そのような時間を作ってください。

 

子どもは、どのようなシンプルで、すぐに消えてしまう「会話」の中から、

多くのことを吸収しています。

 

現代社会において、誰もが、「言葉のつかい手」として、

精進していく必要があるでしょう。

 

 

そして、その時の「今」をライブで感じられる「言葉」でしか、

私たちの後世へと知恵を繋いでいくことはできないのです。

 

 

ゆえに、「今」をしっかりと生きること。

子育ては「今」この瞬間が一番尊い時間であることを

一瞬で消えてしまう、シャボン玉と同様に、

人類の歴史や私たちの一生の時間にしたら、

その時間は「一瞬」なのです。