道徳の「教科化」いよいよ動き出します。 市教委、教育現場での「評価」が先行実施。文科省の委託を受けて、道徳教育研究会発足。そのねらいとは何か。私たちの生きる「価値」はどこへ向かうのでしょうか。

 

 

道徳の「教科化」については、賛否両論ありますが、

 

現代社会のなかのモラル低下、個人主義による

他者への思いやりの欠如などの問題から、

「価値」を押し付けることをせずに行ってきた道徳が

教えるべきところは、きちんと指導していくことが必であるとされ、

道徳に評価を位置づけるという新しい動きが、

現在、教育現場に実際に導入されようとしています。

 

新「道徳」新年度から 京都市教委、評価一部で導入 : 京都新聞

都市教育委員会は14日、2018年度以降、教科として格上げされる道徳について、新年度から、すべての小中学校と特別支援学校で新指導要領に基づいた授業をすることに決めた。文部科学省は本年度から移行期間として先行実施を認めており、市教委独自の教材を「教科書」として使い、年間35時間の授業を行う。一部の学校では評価も試行する。

 新指導要領に基づく授業の実施にあたり、市教委は授業の指針となる移行措置要領を定め、今月中に各校に配布する。小学1年で「国や郷土を愛する態度」が追加されるなど内容が増える。教科書は、市教委による現行の独自教材などで代用する。

 評価は、研究指定校の約20校で試行し、児童や保護者に通知表などで結果を示す。評価法は国が本年度中に指針を示す予定で、市教委は「指針に基づき方法や内容を検討する」という。市教委は本年度、小中学校のそれぞれ1校を研究指定校とし、現行指導要領での評価を実施している。

 14日開催された市教委定例会では、委員からは「評価は子どもや保護者に強い関心事。完全実施までに家庭サイドから検証してほしい」「現状ある通知表の所見欄とどう違いを出すのか」との意見や質問が出たが、委員全員が賛成した。

 道徳の教科化は小学校が18年度、中学校が19年度に完全実施する。文科省は、本年度から新指導要領を先取りし、検定教科書を使わずに、授業することが可能としている

 

モラル、性差… 今日的課題を道徳教材に 静岡大の研究会|静岡新聞アットエス

 

 静岡大が2015年6月に発足させた道徳教育研究会が、道徳教材の開発を進めている。文部科学省の委託を受け設置した。情報教育やジェンダー(社会的・文化的な性差)といった今日的な課題を含めて研究し、成果を報告書や出版物にまとめていく。
 研究会内には、情報モラル・生徒指導▽法・政治教育▽ライフスキル性教育▽防災・リスク教育▽キャリア教育・若者支援―の五つのテーマで部会を設けた。大学のネットワークを使って識者を招いて講演を聴いたり、踏み込んだ議論を行う時間を設けたりしている。

 

 静岡大が2015年6月に発足させた道徳教育研究会が、道徳教材の開発を進めている。文部科学省の委託を受け設置した。情報教育やジェンダー(社会的・文化的な性差)といった今日的な課題を含めて研究し、成果を報告書や出版物にまとめていく。
 研究会内には、情報モラル・生徒指導▽法・政治教育▽ライフスキル性教育▽防災・リスク教育▽キャリア教育・若者支援―の五つのテーマで部会を設けた。大学のネットワークを使って識者を招いて講演を聴いたり、踏み込んだ議論を行う時間を設けたりしている。

 

 

 

 

 

 

そもそも、道徳とはなにか

  1. 人々が、善悪をわきまえて正しい行為をなすために、守り従わねばならない規範の総体。外面的・物理的強制を伴う法律と異なり、自発的に正しい行為へと促す内面的原理として働く。
  2. 小・中学校で行われる指導の領域の一。昭和33年(1958)教育課程に設けられた。

 

正しい行為とは、生物として生まれてきた

当たり前の「価値」のことを言います。

 

 

そして、「道徳」で大切なことは、

人と人と社会的生活の営みの中で、様々な状況や出来事を

互いに、物理的空間、時間を共有するもの同士で

「価値」付けていくものです。

 

 

 

 

道徳で人を評価するということ

 

 

は、できるのでしょうか。

 

道徳に評価が加わるとしたら、

法の下、決まりを守ること、それに従い、行動すること。

それらの基準があれば、評価が可能になります。

 

 

現在の教育の矛盾点として、

これだけの多様性の中の教育が求められているなかで、

自己成長や、他者を思いやる気持ちを価値付けるならば、

あえて、評価せずに、人との考えや思いの「違い」のなかで、

「それぞれの価値」や「考え方」を尊重しあうことの方が

健全ではないでしょうか。

 

 

 

従って、この道徳科の流れは、

今後の教育の方向性をはっきりと示しているものになるでしょう。

つまり、その「価値」付けるものが既に存在しているということを

意味しています。

 

 

 

「決まりを守るとはどういうことか」

 

 

このような価値が道徳によって、根付かされていくことは明らかですし、

そして、親・教師も、その価値基準で、子どもの善悪を

判断するようになるでしょう。

 

 

しかし、その価値が間違っているならば、

それは、取り返しがつかないことになります。

 

 

他者を評価するという根本的な問いを、今、問い直すことが必要です。

 

 

他者を評価することは、主観でも、所見でもなければ、

何かの基準なしでは、評価はできないのです。

 

子どもの

「内発的な意欲」

「才能」

をまた、ここで蓋をするという行為に繋がっていることを

私たちは、知っていなければならないでしょう。