「病児保育」がいよいよ本格的に始まり、子どもと親との時間減少傾向へ。その目的は?子どもの居場所は、本来「教育施設」でも「医療施設」でもなく「家庭」にあるのです。

「病児保育」の充実へ補助、政府 小児科や保育所に施設 - 西日本新聞

2016.1.12

 

 政府は4月から、急な発熱で保育所での集団保育を利用できない子供らを一時的に預かる「病児保育」の充実に本格的に乗り出す。対応する病院や保育所への補助金を手厚くして施設不足を解消し、親の育児と仕事の両立支援につなげる。

 子供がインフルエンザなどにかかると、一定期間は保育所などに預けられず、親は仕事を休まざるを得ない。財源には、企業が負担する「事業主拠出金」の新年度からの引き上げによる約27億円などを充てる。

 病児保育には急性期の「病児型」、回復期の「病後児型」、保育所などで具合が悪くなった子を預かる「体調不良児型」などがある。市区町村が民間に委託し、多くは小児科や保育所に併設されるが、年齢の違う子を一緒に世話をし、容体の急変にも備えるため保育士や看護師の配置基準は通常の保育所より厳しい。

 施設は平成26年度に全国約1840カ所あり、延べ57万人が利用。厚生労働省は、働く女性の増加などで施設は著しく不足するとみている。

 

 

 

 いよいよ、4月から本格的に、家庭から子供を引き離し、

教育施設及び、医療施設にまで、子供たちの居場所が

移り行くことへの懸念を感じます。

 

 

現代社会は、子供の出生率の増加を言っている半面で、

実際は、共働きでなければ生活することが困難であり、

シングルマザーとして生きていくことも難しい社会です。

 

見えない児童貧困と呼ばれる問題も顕在化してきています。

 

 

私たちの周囲では、女性活躍推進法などで、

「働くママ」

「働く女性応援」

などと「女性が働くこと」が美化されていることに

上記の記事と関連して制度が進められているのです。

 

 

そして、私たちは、ここで気づかなくてはなりません。

 

 

虐待と言われ、児童相談所へいく子ども。

発達障害だと言われ、医療施設へ送られる子ども。

 

そして、今回のように、「病児保育」と呼ばれ、

病院までもが、子どもたちを家庭から放そうとしているのです。

 

 

 

この表現はオーバーば言い方でも、言いすぎた言葉でもないのです。

 

 

これが、現実ですから、

それを踏まえて、私たちは子どもを育てなければならないのです。

 

 

 

 

 

「あら、急な発熱で保育園から電話があったから、

大事な会議に出られないから本当に助かるわ。」

 

とお考えになった方もおられるでしょうが、

そんなことはありません。

 

 

 

現代の医療システムは、健康的な人ばかりでは、

循環していかないですから、意図的に「不健康」を作り出している

世の中なのです。

 

あらゆる食品や様々な社会毒によって、

普通に生きていることでも、「不健康」になってしまう社会です。

 

 

このように、子供たちの「怪我」や「病気」

は年々、増しています。

 

 

 

 

あなたの周囲を見渡して、みてください。

 

 

 

数年後、

 

気が付いたら、子供は「家庭」でも「地域」でもなく

国の「教育施設」や「医療施設」に

溢れていることでしょう。

 

 

だからこそ、私たちの「命」が育まれる「家庭」が

しっかりしなければなりません。

 

 

人任せ、専門家がやってくれるというのでは、

子どもは育ちません。

 

 

子どもは、「家庭」という世界で一番小さな共同体から

心身ともに、大きく成長するのです。

 

 

一つの男女から生まれた、「命」が、

「家庭」や「地域」の人と人の間で育まれる時期は、

生物として生きていく上で大切な倫理観や道徳観などの「価値」を

子供たちの内に育てていきます。

 

それは、もちろん多くの大人の眼差しから注がれていくものですが、

特に、母と子の愛着で結ばれた関係性によって培われていきます。

 

 

1人の人が一生を生きるうえでの基盤となり、

その「時間」と「出会い」は、何にも変えることができない

ものだと確信しています。

 

 

だからこそ、強く言いたいのです。

 

 

目先のことだけを追って、便利さや効率化ばかりを

考えるのではなく、長い目で見て、

子どもを育てるという行為が、いかに、

重要なことかを考慮して、一つ一つの選択をしなくてはならないのです。