母乳での子育てから得られる価値。人と人との間のコミュニケーションは、「おっぱい」を通して「意思を伝え合う」経験から始まります。

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「えらい」

 

おっぱいって

えらいなぁ

 

くじらでしょう

ぞうでしょう

 

はつかねずみだって

モモンガーだって

あらいぐまだって

ゴリラだって

キリンだって

 

うん

 

それから おむかいのあかちゃんだって

みんなおっぱいでおおきくなるんだ

 

だいすき

 

 

 

 

 

この詩は、 田中ナナさんの「えらい」という詩です。

 

 

私は、この詩を見たときに

子どもの心がそのまま表れた言葉で、その素直な表現に

驚いたことを覚えています。

 

 

 

ある子どもとの会話の中での一コマで、

以前、子どもが

 

「ねぇ、おっぱいってすごいんだよ!」と

言っていたのがぱっと頭に浮かびました。

 

 

 

その輝くような瞳。

その表情から放たれる言葉で

「おっぱい」について、子どもと話し合うことになったのです。

 

 

 

「おっぱいは、どうして2つあるのかな?」

 

 

 

 

「動物にもおっぱいがあるのをみたよ!」

 

 

 

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と、子どもたちは、

動物にも同じように「おっぱい」が

あるのが不思議で、口々に言っていたのを記憶しています。

 

私も、あなたも、ねこも、犬も、ぞうも・・・・

 

少し、恥ずかしい顔をしながらも、 

「おっぱい」が大好きで、

「おっぱい」について知りたいことがある様子でした。

 

 

 

 

私たち、ほ乳類は、お乳をのんで大きくなります。

 

 

そして、女性は、お乳をあげて母になっていきます。

 

 

これは、普遍的なもので、生物の進化を支えてきました。

 

母乳で育てるということは、赤ちゃんの身体の成長だけではなく、

安定した精神を育む土台になります。

 

 

ここでは母乳自体の良さにも触れて、お話したいのですが、

この記事だけでは収まらないないので、ここでは、

「おっぱい」を通して育まれる人との関係性について言及して

進めたいと思います。

 

 

赤ちゃんが誕生し、

初めて人と人がコミュニケーションをとる

媒体となる「おっぱい」

 

 

それは、私たちの先祖から脈々と続く、子育ての始まりです。

 

 

赤ちゃんは、生まれた時から「吸う」という能力をもっていますから、

それを使って自らの「命」を育んでいきます。

 

 

 

 

赤ちゃんが母乳を飲み始めました。

 

すると、あれ?

と思うことがあるでしょう。

 

 

赤ちゃんの様子をよく観察してみると分かりますが、

飲んだり、止まったりして、一定のリズムで飲み、

ずっとごくごくと飲んでいるわけではありません。

 

 

ごくごく

ぴたっと動かなくなり

また

ごくごくと飲む。

 

このような繰り返しが行われています。

 

 

 

そうしたら、お母さんの反応を想像できますでしょうか。

 

 

視線を下へ、赤ちゃんの方へ向け、ほいほいとおっぱいを揺す振ります。

 

 

それに反応するように、赤ちゃんは再び

ごくごくと飲み始めます。

 

この行為が、赤ちゃんにとっての

「コミュニケーション」の始まりなのです。

 

 

無意識のうちに、赤ちゃんはこのような「コミュニケーション」能力を

生まれた時から発揮させているのです。

 

 

「おっぱい」を通した、赤ちゃんと母のコミュニケーションは、

人との関わりを育む上での大切な行為です。

 

人は、誰もがこの「おっぱい」から「人と関わるということ」を学びました。

 

 

本来のコミュニケーションとは、人と人の間で行われる行為です。

 

その媒体が、赤ちゃんの時は「おっぱい」であったように、

「言葉」になり、「表情」であり、「身振り手振り」であり、

様々な人との関係の中で「意思を伝え合う行為」なのです。

 

インターネットが普及した現代において、メールやラインなどの

媒体でのやりとりは、コミュニケーションではないことに

気付きますね。

 

 

そこで、人が人と出会い、相手の反応を見たり、

聞いたりして深めていくこと。

 

それがコミュニケーションなのです。

 

 

相手の反応を素直に受け止め、

そして、自分の反応を返す。

 

 

こんなシンプルなやりとりこそが

コミュニケーションの始まりであり、

私たちは、その方法を生まれた時から皆が実践し、

知っているのです。