ADHDの急増「その傾向の原因は分かりません」分からないなら、あらゆる可能性を考慮して「今」を生きましょう。母体を育むことはシンプルに生きること。
理由わからぬまま増えるADHD児──8人に1人:米国の調査 « WIRED.jp
『Journal of Clinical Psychiatry』誌に12月8日付けで発表された研究結果によると、米国では現在、580万人(約8人に1人)の子どもと若者がADHDだ。さらに、2003~11年の8年間に、5~17歳児のADHD罹患率は42.9パーセント上昇したという(8.4パーセントから12パーセントへ)。
研究者によれば、ADHDの急増という現象は、さまざまな人種や民族、社会経済状況、年齢層、性別の子どもに見られるがその程度には差がある。
「この傾向の原因はわかりません」。論文の執筆者のひとりで、ジョージ・ワシントン大学で疫学・生物統計学を研究するショーン・クリアリー准教授は、US版『Arstechnica』にそう語った。
私は、ここ5年ほどで子どもたちの様子が「どこかおかしい」
と自分自身の感覚を通して、感じています。
それは、ADHD,LDなどと概念付けされる、されないに関わらず、
どこかおかしいのです。
教育者・様々な施設の対応もどこか「疑問」と「おかしさ」を感じています。
現在、私たちは、いくつかの研究者のデータやその考察でしか
知ることはできません。
私たちの周囲の環境を見渡しても、
添加物や化学調味料が入ったものが、私たちが日常で口にするものに
当たり前のように入っており、普通に売り買いされている現状。
便利で、時間を短縮してくれる家電製品
手放すことが出来ないスマートフォン
子どもの一番の遊び道具ゲーム機などによる「電磁波」
幼い頃からのワクチン・薬の投与。
全て、「美味しいから」「楽しいから」「病気にかからないように未然に予防」
などによる私たちの生物として生きることからかけ離れた
欲や自分自身のリテラシーの問題です。
このような環境は、普通ではありません。
もちろん、要因は、これだけではありません。
「ADHD治療薬」の巨大な市場、その安全性は? « WIRED.jp
本記事にもあるように、
そして、その行動は投薬により「正常に戻す」
ことができるとされている。
ADHDは、子どもが診断を受ける精神疾患のなかで2番目に多く、
ADHD治療薬の市場は、米国内では130億ドル規模だ。
アンフェタミンを長期間投与することが子どもの脳にどのような影響を及ぼすかについてはわかっていないが、投薬数は今後も増え続けるだろう
(日本では、アンフェタミンは、精神依存・薬剤耐性により、反社会的行動や犯罪につながりやすいとして、覚醒剤に指定されており、ADHDの適応薬には別の種類の薬が指定されている。なお、米軍は、第二次世界大戦、ベトナム戦争、湾岸戦争を通じて、兵士たちにアンフェタミンを配布してきた(日本語版記事))。
もしも、身近に生きる子どもや我が子が、そのように提案された時は、
一度、冷静になって考えてみる必要がありそうです。
そして、自分自身で調べてみるよいでしょう。
「正常に戻す」ということについてですが、
これは非常に危ないことを意味しています。
投与された子どもは、その表情も、目も、言葉も「生命力」を失います。
そして、その子に合うまで
薬の投与は続けられるのが現状です。
私は、そのような子を見て、やるせない気持ちになります。
「正常」とは何でしょうか?
大人の言うことを聞き、じっと座っていられることは正常ですか?
自分の感じたままに表現することは「正常ではない」のでしょうか。
それは、現在の義務教育の環境の「価値」による判断です。
時代や価値が変われば、その子どもの「在り方」も変わります。
そもそも、子どもを産み、育てる行為を捉えなおしてみましょう。
それは、とても尊いことであり、自然なことなのですから
「~しなければならない。」ということはありません。
しかし、子どもを「産む」、「育てる」となると
「~しなければならない」ことが山ほどあるように思えて、
あらゆる情報により、この事実が埋め尽くされてしまいます。
1つ、言えることは、これから子どもを産み、育てる人にとって、
健全な母体を育むには、このままの環境では
「守れるものが守れなくなる」という現状を、まず知るということです。
あらゆる可能性を考慮して、除いていくことも、2016年現在必要なことです。
それは、何も難しいことではありません。
シンプルにしていくという行為です。
付けるよりも、外す。
それは、生命の理に適っているように思います。
そんな、自然な当たり前のことすら、感じることができない。
「感性」が鈍感になってきていることにも気付きます。
5人以上の子どもを出産した女性に話を伺ったときに、
印象に残ることをおっしゃていました。
「子どもを産むということは、自分の生命力を信じること。
そして、とても気持ちがよいことなのよ。」
という言葉です。
私たちの生きる社会は、その生命力を、
色々なモノやコトで蓋をしている状態です。
少し、想像すればお分かりになられますね。
だからと言って、遠くへ逃げる必要もなく、恐れる必要もなく、
ただ、「今」目の前の状況において、よりよい方へ自分で考え、
選んで行動していくのです。
私たちの生命力を発揮できる環境を周囲に拡げていくことです。
それは、私たちのためでもあり、
後世を生きる子どもたちのためでもあるのです。
今、私たちができることから一歩、一歩始めましょう!