2020年東京五輪・パラリンピックに向けて「一校一国運動」から「一校多国運動」へ。この運動の教育的価値を問う。「異文化理解」教育において今、考えること。

「一校一国」→「一校多国」へ 五輪学習で都教委が提言:朝日新聞デジタル

2015.12.22

 2020年東京五輪パラリンピックに向けて、東京都教育委員会有識者会議が、都内の小中高校が大会に参加する5カ国程度について学ぶ「世界ともだちプロジェクト」を提言した。98年の長野大会で始まった「一校一国運動」に代わり、「一校多国」となる。

 一校一国運動は開催地の学校に応援する国や地域を割り当て、選手らと交流する取り組み。大会に参加が見込まれる205カ国・地域に対し、都内の公立校は約2千校ある。提言では、参加国・地域でグループをつくり、5大陸から1国ずつを入れるようにして、各校が選ぶ仕組みにする。

 

東京新聞:五輪教育 五大陸の留学生と交流 都内全学校で来年度から:東京(TOKYO Web)

2015.12.22

都教委が「世界ともだちプロジェクト」提言 五輪へ五大陸から1国ずつ学習 (産経新聞) - Yahoo!ニュース

2015.12.22

 

 2020年東京五輪パラリンピックに向け、五輪の精神を教育現場に取り入れる方策を検討する都教育委員会は21日、有識者会議を開き、長野五輪で展開した「一校一国運動」に代わる名称を「世界ともだちプロジェクト」とする最終提言をまとめた。

 最終提言によると、五輪教育を進めるための取り組みを4つに分類。学校をあげて国際交流を進める「世界ともだちプロジェクト」のほか、子供たちのボランティア参加を促す「東京ユースボランティア」▽障害者スポーツを体験し、理解を深める「スマイルプロジェクト」▽アスリートを学校に派遣する「夢・未来プロジェクト」-の4つを軸に、小中高校で年35時間をめどに授業に取り入れるべきだとした。

 世界ともだちプロジェクトは、長野五輪で始まった「一校一国運動」に代わる取り組みで、大会参加国・地域を5大陸に分け、各大陸から各1国を選び、バランスよく学習することを想定。留学生や大使館と交流したり、海外の児童・生徒と手紙をやりとりしたりするという。

  プロジェクトはリオ大会後、全公立校で取り組みがスタートするほか、都内の私立校にも参加を呼びかける方針。

 

 

 

さて、再びこの「一校一国運動」が始まろうとしていますが、

ここに教育的価値があるのかどうか考えてみたいと思います。

 

それが、「一校一国」だろうが「一校他国」だろうがあまり違いはありません。

 

【オリンピズム】次世代へ…教える、学ぶ(4)オリンピックは教材の宝庫 - 産経ニュース

2014.8.26

 

 長野冬季大会を半年後に控え、副読本が作られ、長野市内の小・中学校では一つの学校が一つの参加国を勉強し応援する「一校一国運動」も始まっていた。しかし、それは全国的な展開とはなり得なかった。

 

 

 

そもそも、この「一校一国運動」は、

オリンピック開催地の学校が応援する国や地域を決め、

その国の文化や言語を学習し、諸外国の選手と交流し、

「異文化理解」を深めようとする目的で活動が行われます。

1998年の長野オリンピックより始まり、国際的な拡がりをみせていると

言われています。

 

 

 「五輪の精神を教育現場に取り入れる」こと「異文化理解」を図ることが目的だ

と述べられています。

 

 

では、「異文化理解」について考えてみましょう。

 

それらを深めるためには、まず、自国文化と、自分の町のことを

知ることから始めなければなりません。

 

では、私たちは、自分自身のこと、自分の町のこと、自分の国のこと、

「市民」として生きることを、文化、歴史、現代の問題に疑問をもち、

「自分の頭で考える」ということをどのくらい家庭・学校の教育において、

教えられているのでしょうか。

 

 

「市民として生きている」という習慣のなかでこそ、

子どもたちは、自分自身の生きる文化のよさに気付き、

現在の課題を捉え、「発信したい、伝えたい」という発信力が芽生えてきます。

 

交流するためには、「互いに発信すること」が必要です。

発信するためには、自ずと「相手のことを知る」

ということを始めなければなりません。

 

 

なぜなら、それを知らなければ、伝えられないからです。

そうして、ようやく「異文化理解」にベクトルが向き始めるのです。

 

 

しかし、この運動は、それが、逆になっています。

 

この一校一国運動は、既にその学校で、どの国を調べるのかが、

先に決められており、それに従って、その国を調べるのです。

子どもの主体性よりも、重視されるべきことが

この運動に価値付けられているのでしょうか。

 

 

つまり、子どもも大人も皆が、この町に住む「市民」であることを自覚していて、

初めて「他国」のことを知る・学ぶことに意味が見出せるのだと考えます。

 

 

今後、オリンピックに向けて、「異文化理解」「異文化交流」「国際理解」

が教育での活動が益々増えてくることは予測されます。

 

 

他にも、子どもたちに、「ボランティアは素晴らしい」という感覚や、

「他国の言語、文化を理解することは素晴らしい」という価値観を

根付かせていくでしょう。

 

 

一過性のイベントではなく、

子どもの自発性から生まれた活動・運動でなければ、意味がありません。

 

 

親・教育者として考えるべきことは、制度や、

「毎年やっているから継続しよう」という価値観で、

判断してよいのかということです。

 

 

そこに、今現在「教育的な価値」はあるのかどうかを考え、

建設的議論をする余地がまだまだあります。

 

 

なぜなら、子どもたちにとって、

その時間はもう二度と戻らない時間だからです。

 

勿論、私たち大人も同じです。

時間は有限です。

 

 

教育者は、同年齢の子どもを見るからこそ、

特にそこを自身の経験を踏まえ、批評的に見ていかねばなりません。

 

 

生きている人間を育てる仕事ですから、

そこが職人としての技の見せどころです。

 

 

伝統文化、伝統工芸品を作る職人は、変化していくことを恐れません。

同じものを極め、生み出すことが、職人の仕事ではないのです。

 

 

自分の肌で感じてきた感覚を信じて、

移り変わることを厭わないことが、

「進化」に繋がります。

 

今は、私たちは、これまで体系的に作られてきた「教育」に甘んじて、

「あの時もそうしていた。」と過去の繰り返しをするのではなく、

今、目の前の子どもと共に思考し、意見を交わし、

共に育ちあうことが大切なことなのではないでしょうか。