コミュニケーション能力は、どこでどのように育つのか。文部科学省「コミュニケーション教育推進会議」子どもたちを取り巻く環境の一つ「テレビ」は人として生きる時間を奪っている。

コミュニケーション教育推進会議:文部科学省

コミュニケーション教育推進会議が開催されていますが、

その目的は

 

  国際化の進展に伴い、多様な価値観を持つ人々と協力、協働しながら社会に貢献することができる創造性豊かな人材を育成することが重要です。また、近年、子どもたちが自分の感情や思いをうまく表現することができず、容易にキレるなどの課題が指摘されています。 このような状況を踏まえ、子どもたちのコミュニケーション能力の育成(以下、コミュニケーション教育)を図るための具体的な方策や普及のあり方について調査・検討を行うため、「コミュニケーション教育推進会議」(以下「推進会議」という)を設置します。

 

 とのあります。

 

 

ワークショップや表現的活動なども、有効な方法として研究されています。

 

 現在、新社会人に求められる力として、

コミュニケーション能力が上位に挙がっています。

 

しかし、

 

私たちの社会や教育は、この「コミュニケーション力」が育つような

素地があるのでしょうか。

 

 

人間が人間を傷つけたり、信頼できなかったりする

社会の構築になっていますから、

人と人が関わり、育ちあう自然な

「コミュニケーション」がとれないような状況です。

 

 

逆に考えると、

私たちが、当たり前のようにしている

このコミュニケーションが「豊か」に「自由」に図れることは、

人が、人として豊かに生きる社会・教育へと繋がります。

 

 

このコミュニケーションを他者と図ることは、とても難しいことです。

そう簡単にはいきません。

 

 

それを支える「想像力」を、同時に伸ばしていくことも大事な視点です。

 

 

この「コミュニケーション」とは、本来、人と人の間で行われ、

相手の「言葉」「表情」「声色」「視線」「姿勢」など

「言語」以外に情報として、無意識のうちに私たちは受け取り、

相手を理解しようと努めます。

 

 

 

この理解し合うということは、究極の技であり、

理解しているようでしていないことや、

勝手に解釈しているということも多々あります。

 

 

本当に意図しているものを相手に、矛盾なく、純粋に伝えるための

「コミュニケーション能力」には、「想像力」が欠かせません。

 

 

相手は、何を伝えようとしているのか。

 

何が言いたいのか。

 

言い換えるとどういうことか。

 

その背景を見なければ、その「言葉」の意味が判らないのです。

 

 

この一対一のコミュニケーションは、多数になるとさらに難しくなります。

それは、一歩通行の講演会やTEDのようなスピーチでよく見られますが、

コミュニケーションの場としては、

一対一の個別的な関わりが必ず必要になってくるのです。

 

 

この一対一のやりとりの中で指導ができるのは、

学校ではなく、家庭にあるのです。

 

それを担うのは、家庭です。

 

家族の役割です。

 

家庭では、この豊かな言語とその他を含むコミュニケーションを

第一の柱としてもよいでしょう。

 

 

それは、一時にまとめて行っても、身につくものではありませんし、

話が上手い落語家の家庭に生まれたからと言って、伸びるわけではありません。

 

 

毎日、積み重ねることで伸びていきます。

 

 

 

 

私は、なぜ子どもの「コミュニケーション能力」が低下してきているのか、

ずっと考えていました。

 

そして、子どもの呟きを拾う蓄積の中で、ふと気付くことがあります。

 

その要因は、勿論、一つではありません。

ここでは一つだけ、以下に述べます。

 

 

それは、子どもたちの生活の中に「テレビ」からの情報が

非常によく浸透していることです。

 

「テレビ」とは、上記で述べましたが、

一方通行なのでコミュニケーションは図れません。

 

しかし、ある一定の「価値」をもたせた人物が語りかけることで、

「テレビ」が言ったこと、やったことは、ストレートに子どもに響きます。

 

後に、子どもの文化になるのです。

 

その事実を、私たちは、どのように受とめればよいのでょうか。

 

テレビは、「電子機器」から出た音声であり、

平面での人の動きや表情でしかありません。

 

また、流れてくる情報が本当のものなのかも分かりません。

もし、私が社長なら、社員1人1人に「同じ価値」を提供せねばならない時に、

このテレビを使います。

なぜなら、マスを単位とすることで、速く伝わり、有効だからです。

社員は、聞き漏らさないように必死になりますし、

同じ集団で、同じ情報を共有できなければ、

生きてはいけないからです。

 

 

テレビという道具そのものを否定するのではありませんが、

その「使われ方」が重要です。

 

昨日、申し上げた「物事を多角的」に「批評的」に見るリテラシー

まだ、育ちきれていない子どもに、この「テレビ」は、

デメリットの方が大きいと私は考えます。

 

 

アメリカの幼児番組セサミストリートのは、

貧困層の子どもの教育の質を上げるために、テレビを使いました。

どこの家庭にも「テレビ」はあったそうです。

 

その「テレビ」によって、「ABCD・・・Apple・・・」を覚えさせたのです。

そして、テレビは「私たちに何か大事なことを教えてくれるもの」

と信じて疑わない子どもが育つのです。

 

 

それに、この忙しい世の中で、テレビが子どもの教育をしてくれるのならば、

親としては、一石二鳥ではないかと考えておられる方も

大勢いらっしゃることだと思います。

 

 

つまり、2015年現在の社会では、学校や塾、家庭よりも、

テレビが子どもの教育をしていると言っても過言ではありません。

 

 

大多数に普及していくツールとしてのテレビは、

本当によくできた道具だと思います。

しかし、同時に、

人が人として生きていくための「コミュニケーション」の時間を

奪っていることになります。

 

 

気が付けば、家族のはずなのに、

人生のうちに、本来のコミュニケーションをしていたのだろうかと

死に際になって初めて気が付くのです。

 

 

 日々のコミュニケーションは、

自分の想像力と思いやりをもって、

相手と関わることそのものを学びます。

 

それは、人が人としてあるべき姿です。

私たちは、「言語」を豊かに使いながら、相手と関わることを学ぶのです。

 

コミュニケーション力を高めるためには、ワークショップという手法や

会話をし、友達を増やすことだけではなく、

 

日々の「気持ち」「考え」「思い」の正直なやり取りと、

それを、純粋に聞き、思いやりをもって、傾聴するシンプルな行動こそが、

コミュニケーション力を育てる大事な時間なのです。

 

まずは、目の前の子どもたちと、一対一で、今すぐにはじめましょう。