小学校いじめ最多12万件。深刻化するいじめの対応策とは。「いじめ認知数」と「教師のスキル向上」。今一度、私たちの生活環境を見直し、その「倫理観」を問うべき時がきています。

大津小4飛び降り 「席に着かず教諭が指導」直後に教室飛び出す 市教委が状況説明 (産経新聞) - Yahoo!ニュース

2015.12.18

 大津市の市立小4年の男子児童(10)が授業中に校舎3階から飛び降りて骨折した問題で、市教育委員会は18日、記者会見を開き、授業中、席に着かなかった児童を担任の男性教諭(27)が指導したところ、児童が教室を飛び出して飛び降りたことを明らかにした。

 市教委によると、教諭は「自分が担任するクラスで起こったことなので大変重く受け止めている」と話しているという。市教委は週明けにも、いじめがなかったかなど児童から聞き取り調査を行う予定。

 井上佳子・市教育長は「学校は子供にとって一番安全で安心できる場所だと考えており、大変重く受け止めている。今後このようなことがないよう、十分な取り組みをしていきたい」と話した。 

 

ーいじめがなかったかなど児童から聞き取り調査を行う予定。ー

 

奈良の高校生転落死 遺族が県教委の対応に抗議(テレビ朝日系(ANN)) - Yahoo!ニュース

2015.12.18

  奈良県の高校1年生が校舎から転落死し、いじめによる自殺が疑われている問題で、遺族が会見を開き、県の教育委員会などの対応に抗議しました。

 奈良県の県立奈良北高校の1年生の男子生徒(16)は今月4日、校舎の4階から転落したとみられ、死亡しました。男子生徒が亡くなる直前に書いたメモなどから、いじめが原因で自殺した疑いがあるとして、県の教育委員会は15日、調査委員会の設置を決定。これに対して遺族側は、調査委員会の設置が一方的に進められたと批判したうえで、委員会メンバーの人選や調査方法などについて事前協議の場を持つよう求めました。
 男子生徒の父親:「客観性、公平性、中立性が担保された第三者調査委員会の可及的速やかな設置と、法にのっとった遺族に対する対応を要望します」
 県の教育委員会は「担当者不在のためコメントできない」としています。

 

「いじめがなかったかなど、児童から聞き取り。」

 

「いじめが原因で自殺した疑いがある。」

 

最近感じることは、どのような問題が起きても、

このいじめという枠内に当てはめているということです。

 

親も教育者も、そのように考えるのは、不思議ではなく、

当たり前の流れになっています。

子どもの間で「いじめ」という言葉が独り歩きしているように思えてなりません。

 

 

いつも懸念することは、

このような出来事が起これば、起きるだけ、

「制約」「決まり」が増えていく事実です。

 

子どもに「こんなことがあったんだよ。さぁ、あなたも考えてみよう。

今日から、あなたはこのように生活するのだよ。」

と、全く、その状況を知らない子どもにも

積極的に考えさせ、それは瞬時に日本全国の子どもに共有されます。

 

 

 

時事ドットコム:小学校いじめ最多12万件=再調査で積極認知−低年齢中心に増加・文科省

いじめを認知した学校数は、全体の56.5%の2万1641校。いじめを把握するための取り組みも普及し、アンケートは98.8%、個別面談も87.7%の学校で実施していた。
 小学校のいじめは13年度に比べ約4000件増の12万2721件。低学年ほど増える傾向があった。初期対応や情報共有の重要性が浸透し、いじめにつながるような事案も計上したという。 

 

 

このように、学校と言う場はいじめが起きて当たり前の場所であると認識し

教師は、それを認知することに必死になります。

つまり、認知数は、いつしか成果へと変わるのです。

 

いじめ・不登校対策へ子どもケア拡充 (河北新報) - Yahoo!ニュース

2015.12.18

 

 宮城県は2016年度、深刻化するいじめや不登校などの対策を強化するため、県教委と保健福祉部を中心に子どもと学校の支援環境を整える方針を固めた。組織の縦割りを廃し、部局横断的に子どもや家庭のケアを充実させ、問題行動の早期発見やいじめ根絶を目指す。

 県教委によると、16年度に学校や各市町村教委との連携を強め、いじめ・不登校に関する相談体制を拡充する。いじめの早期発見に向けた教師のスキル向上も重点的に取り組む。

 

 

教師のスキル向上。

何のための教育なのか。有限な時間なのか。

聞き取りの証拠を提示するよりも、やらなくてはならないことがあるはずです。

 

いじめ問題は、誰も責任を負えないような仕組みになっており、

ただ、隣にいる人、教室の仲間を疑い、

希薄な関係性を生むばかりである。

 

勿論、いじめは絶対に許されないことです。

 

 

この「いじめ」を根本的に見直すためには、

道徳教育でも、いじめアンケートでもなく、

幼児期に、両者共に、人を信頼し、自分を愛するだけの

自己肯定感が育まれることが大切です。

 

それに、人は失敗する生き物である。

 自分の命を自分で絶つようなことがあってはなりません。

人を傷つけるということは、自分自身を傷つけているのです。

 

 

そして、混沌とした社会だからこそ、

人に対しての「倫理観」「思いやり」を、積極的に育んでいく必要があります。

 

 

それは、毅然とした強さと厳しさでもある。

だらりと自分のゴミすらも自分で始末できない。

平気で、電車の中でスナック菓子を頬張る。

 

このような、あまい状況では、堕落するだけです。

 

 

その結果、起きたことに対して、あれはだめこれはだめと縛り付ける。

 

 

結果には、必ずそれなりの原因があるのですから、

私たちは、それを見て見ぬふりをしない。

腹を立てている場合ではない。

 

人として、生物として在る姿で

行動するだけである。

 

周囲が、おかしなことをしていても、

人として、あるべき姿で生きなければならないのです。

 

 

その「倫理観」は、行政や学校ではなく、

わたしたち市民の力と目が必要です。

 

 

私たちの「倫理観」は、どの法律や、仕組みよりも

尊ぶべきものなのです。