「放課後の学童保育」子どもの利用者過去最高記録。私たちが「働く」ということの価値を問い直し、女性が自由に働く・育てることができる豊かな社会へ。

 

 「放課後の学童保育」の児童増加の背景には

女性の「働く」ということの社会問題が含まれています。

 

学童にいる子どもたちは、約10時間以上、学校や学童で過ごすことになります。

今では、学童の替わりに塾に行かせる人も多く、

子どもにとって家庭で過ごす時間が少なくなっています。

 

「放課後の居場所」の行方(1)-学童保育利用最新状況からの考察- (ZUU online) - Yahoo!ニュース BUSINESS

2015.11.30

 

総務省統計局が推計した同時点(2014年5月1日)での総人口である1億2727万人の0.7%を占めるこの数値が示すのは、「学童保育施設に入所している児童数」である。そしてこの93万人という入所児童数は、過去最高記録である。

 

 

子育て期の女性が労働市場から退出してしまう「年齢別女性労働力率のM字カーブ」が未だ存在しているわが国。このようなM字カーブの存在する国においての女性活躍推進本格化は、子育て中の母親が子どもを託すことが可能な学童保育のような「放課後の居場所」の発展なくして、今後達成されることは難しい。

 

 

 

 

これほど、学童保育が増えている理由は

共働きで、親が働きに出ているということです。

核家族であるということも挙げられます。

 

私たち女性は、今、自分自身の研究のテーマや資格、技術、センスを活かして、

社会に貢献したいと本気で思っています。

 

それまでは、女性は男性と平等に働きたい。

男性よりも、地位を確立していきたいと願っていた時代もありました。

そして、キャリアの道を歩み、ガシガシと働き、

男性に負けずに、組織やチームを動かしてきました。

 

まだまだ、世界的に見ても管理職として働く女性は少ないけれども、

どこか憧れの的であったり、美化されて映されます。

そのようなキラキラ女子でも、その過程で、必ず、

結婚、出産という選択肢が迫られるときがあることでしょう。

 

ワークライフバランス

男女平等。

女性が輝く社会。

など「女性がもつ力をもっと社会に還元する」という流れになってきているように

思いますが、私たちの目の前の状況は、変わりません。

誰しもが、抱える悩みは消えません。

 

なぜでしょう。

共働き家庭で、家事・育児などをして両立のリアルを学ぶ「子育てインターン」 | さゆふらっとまうんどのHP ブログ

 

先日「女性活躍推進法」が可決しましたが、安倍政権の戦略の柱である「輝く女性」という名の「女性の強制労働者化」へ馴染めるのかが、現代女性の「もやもや」の根源です。

 

 

上記記事である、「共働き家庭で、家事・育児などをして両立のリアルを学ぶ、子育てインターン」ですが、「女性が働きながら家庭を築くこと」ありきで話が進められています。

 

 

私たちが「働きたい」と心から思うことと

「強制労働」は、 同じ働く時間であっても、全く違うものです。

 

今、私たちの世代は、女性を楽しんで生きていますし、

男性と共に未来の社会を創っていこうという感覚でいます。

そこは、当たり前の感覚です。

男性よりも優れたいとか、男性を追い抜かしたいとか

そのような感覚はあまりありません。

 

なぜなら、女性であることと、男性であることは、

生物学的に全く違うものだからです。

違うもの同士が交わり合うことで、新しい世界が動き出すことは、

生命の歴史の中で自然に行われてきました。

 

そのことを私たちは自覚しています。

 

そのように、私の周囲では、女性であることに喜びをもち、

男性とも良好な関係をもつ女性が多いのですが、それでも、

悩みをよく耳にします。

 

「キャリアで生きるか。」

「結婚するのか。」

「専業主婦として生きるか。」

「子供を産むのか。」

「教育費はいくらかかるのか。」

など、女性の頭のなかは、溢れんばかりに色々なことを同時に思考させ、

マネジメントし、管理し、経営していかなければなりません。

時に、自分を第一優先ではなく、第二、第三としていく中で、

自分を見失わないように必死になっている女性もいます。

守るべきものができると価値も変わります。 

 

それは、私たち女性にとって、これらの選択をする時、

人生のなかで、非常に大きな意味をもちます。

 

 

「働く」ことは、自身の成長に繋がり、

豊かにいきるための時間でなければならないはずであり、

その時のタイミングで、自由に選択できる、

そしてそれを許容できる人との関係性を育み、

社会がそのようなことを許容し、それが常識であることが重要なことです。

 

 

また最近は、「同性婚」という世界的な流れにおいて、

近い未来、それが、当たり前のようされる社会になることを懸念していますが、

私は、自らの子宮の中で、胎児を宿し、出産するということが、

いかに、素晴らしいことなのか、多くの女性から聞いてきました。

その表情から語られるものから学び、

母や祖母を見ていても、そのように感じてきました。

 

私たちにとっては、どの子も、我が子のように

愛おしい存在なのです。

 

自分の子だけというのは、

結局その子のためになりません。

 

 

最近、話をしていて、「いつか、働かなくては。私は、働きたいの。」

という女性が多いことも感じています。

それが、上記の「放課後学童児童」の増加に繋がっているのだと思っています。

 

 

しかし、女性にとって、やはり、生物としての幸せは、

我が子を抱きしめる時であり、

道を歩く人、職場の人が、我が子のように、

自分の子を笑顔で見つめ、見守っていることを、

目にするときでは、ないでしょうか。

 

先日、4人の子どもを自宅・助産院で産んだという女性に話を伺いました。

彼女は「私は、病院で産む選択肢はなかった。なぜなら、

私の生命力が発揮されないと感じたから。

それに、出産はとても、気持ちがいいことなのよ。」

と私に教えてくださいました。

この命を懸けた大きな仕事は、

お金で変えられるような体験ではないのだと思います

 

命がけで、産んだ子どもを、家族、親戚、社会全体が喜び、

手を差し伸べるべきであるのに、

現代の社会では、そう簡単にいきません。

 

赤ちゃんとお母さんに、優しくない社会の発展は、考えられません。

私たちが、本当に社会のことをよりよくしていこうとするのならば、

保育所を増やしたり、学童施設を増やしたりすることより

大切なことがあるでしょう。

 

 

かつて、日本に、外国からの視察をしに来た人たちが

「日本ほど、子どもを大切にしている民族はいない。」

「子供の楽園である。」

と記録を残した、あの時代のように子どもと女性が、

生き生きと豊かに生きられる社会を目指すべきです。

 

私たちの祖先は、そのようなことを自然のなかから学び、

実践していたのです。

 

そのことを、私たちは、少し、忘れているだけで、

私たちの女性の生命体の記憶には、必ず刻み込まれているのです。

 

そして、いつからでも、その時のように

生きることは可能なのです。

 

なぜなら、これからの社会を創っていくのは、

私たちの世代なのですから。