子どもは 「言葉」 によって育ちます。音とリズムと意味を体得しながら 自らの内で醸成させていくのです。

「ありがとう」という言葉を、私は無意識によく遣います。

それは、好きだからです。

いろいろな ありがとう のリズムがありますが、

言った後に、自分に残る「音」の心地よさが好きなのです。

 

人には、それぞれの口癖があると思います。

今、発した小さな一言を 子どもはすぐに吸収します。

我が子が無意識の内に発する「言葉」は、

もしかすると、自分自身が言っている言葉なのかもしれません。

 

 

そして、子どもは「言葉」を欲します。

植物が水を欲して成長することと同様に、人は「言葉」を欲しています。

 

日本語の「音」は、本来とても美しいです。

もちろん他の言語も美しいです。

響く「余韻」があります。

この「余白」は、あそびです。

 

それを母語とする日本に生まれたのだから、

日本語で表現できることの喜びと世界観をもっと知りたいと 私は思います。

 

そして、「言語」は、その社会の人たちが「認識できる世界」を創り出します。

 

江戸時代よりももっと前から、

日本人は「色」を自然から見つけてそれに名前を付けて認識しました。

 

「薄紅」     「撫子色」    「灰梅」     

        「水柿」        「小豆色」      「翡翠色」

 

四季の移ろいの中から見いだし、

自身の暮らしに「豊かさ」をもたらす知恵だったのかもしれません。

今では、このような「色」の違いを私たちの目は、色別するでしょうか。

日本人の美の心!日本の色(伝統色・和色)

 

 

「言葉」や「色」の豊かさは、認識できる世界を広げます。

それは、その時代の「豊かさ」と繋がっているのではないかと思います。

 

 

子どもは、「言葉」によって育つ。

 

我が子を、このように育てたいと思うのであれば、

既に、自分自身が そうなっている。

そのような「言葉」を発している。

 それが、大切です。

 

それは、とてもシンプルなこと。