リーダーとは「自分の内に育んでいくもの」であり、私たちは唯一無二の生物としての「今」を生きている。

「彼は、リーダーシップがある。」

「彼女は、リーダーに相応しい。」

「私の理想のリーダーは、彼だ。」

という言葉をよく耳にする。「今、時代に求められているリーダー像はこれだ!」

という宣伝文句をよく目にする。

しかし、この「表現」自体がおかしな事だということに気が付かなければならない。

 

つまり、

「リーダーは、自分自身の外にあるものだ。」=「それらに従う。」

という思考の流れが(無意識の洗脳)が幼い頃から教育によって成されている。

 

Leader:指導者・統率者・点線・鉤素・初枝

   これらに共通することは、「先端・先」を想像させる。

 

そして、リーダーの研究による文献をいくつか読めば、様々なリーダー像が浮かび上がる。

しかし、誰もが「そのリーダー」を生きる必要はないし、物理的に無理である。当たり前だが、時代も違うし、使命も違う。憧れに酔うことは、「ある時点」では気持ちがよいことかもしれないが、その状態における「ある一点」だけであり、自分の人生を歩む上での「連続性」には繋がらない。

 

余談になるが、「今の、日本のリーダーに彼はふさわしくない。」「彼女が、リーダーになればこの世界は、良くなる。」などと、膨大な情報を用いて、理由を述べている人たちが日本にいる。(2015年11月現在)

よく考えてみると、そんな暇があるのだろうか。人にどうこう言うことは、有限な「人生の時間」を無駄にしていることに気付く必要がある。

と言う事を、私自身に伝えると同時に、シェアしたいという思いで以下を述べる。

 

義務教育の歴史では、その時代に活躍したと言われている(時代の変革者)がリーダーとして物語られている。しかし、歴史は後に作られていくのである。

歴史とは、「時代によって都合よく作られた人物について知る。」ことであるとすれば、「自分の人生を歩む」上であまり重要ではないということに気が付く。また、その関係性が感じらない。

 

一方で、自分自身の生物としての「命の記憶」の歴史は、事実であり、私が今ここに居ることがその理由である。その歴史は、個にとって重要な役割を果たす。

 

私の祖先がどのような時代を生きて、何を考えていたのだろうか。

 

この「私から始まる命の歴史」を辿ることは、不可能に近いが、1人1人知るべきである。それは、「学ぶのではなく」「知っている」だけでよい。

 

ある一部の人たちによって、作られたリーダーの歴史よりも、自分自身の生物としての命が繋がってきた歴史を知りたいと思うのは、自然な想いではないだろうか。

 

上記で、「それは不可能」と述べたが、

それを、知ろうとすることは、自分自身を「愛する行為」「感謝する行為」に繋がる。何よりも「唯一無二」の存在であることへの理解を助け、人とは「違う」ということに、ようやく気が付くであろう。

 

私たち、1人1人には、その無限に果てしなく繋がってきた「歴史」がある。

それは、どの「物語」よりも大切であることをここに記しておく。

そのように考えると、今、隣にいる人も「物語」があって、その「連続性」のなかで生きているということになる。

 

私たちは、「リーダー」を外に求めるように洗脳されてきたが、

そうではなく、「唯一無二の自分自身のリーダー」を生きることを決めることが、豊かに生きることに繋がるのである。

 

それは、とてもシンプルなこと。

 

最後に、リーダーとは、自分自身の内に「育んでいくもの」である。

そのための自己成長が欠かせないことは、言うまでもない。

 

私たちには、その可能性が、すでに生物的に備わっていて、実はそれに沿って生きることは、自然なことなのである。

 

理由は、命の連続性の中で、今現在この地球、日本に生まれ、それが唯一無二のあなただからである。